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永井 明(ながい あきら、1947年12月10日 - 2004年7月7日)は、日本の医師、作家、医療ジャーナリストである。 ==人物== 広島県三原市生まれ。 父は元軍医で、終戦後から85歳で死亡するまで、町医者として地元で奮闘していた。 永井は広島県立三原東高等学校を経て、東京医科大学卒業。医師となって神奈川県立病院で勤務医を務め、退職時の役職は内科医長。途中、モントリオール大学国際ストレス研究所への留学経験がある。 1982年(昭和57年)、専業の医者をやめ、企画・編集会社、有限会社「翔洋社」を設立した。さらに、平凡社刊QA誌に連載を持つなど、医療ジャーナリストとして活動した。その後もときおり、船医などとして診療にも従事していた。講談社が発行していたDAYS JAPANでは、エイズ特集記事の中で、HIVの発見者とされるロバート・ギャロ、HIVはエイズの原因ではないと主張するピーター・デュースバーグ、等のアメリカの医学研究者へのインタビューを行なっている。 医療ジャーナリストとしては、自らの医者としての経験をふまえた『ぼくが医者をやめた理由』シリーズのほか、『ブラック・ジャックにはなれないけれど』、『病者は語れず―東海大学安楽死殺人事件』、『実録・男の更年期』など、多様な切り口からのものがあるが、基本的なスタンスは「医療の現場と、そことは距離のある一般社会との、橋渡しを志す」というものだった。また、その延長線上でコミック『研修医古谷健一』及び『医龍-Team Medical Dragon-』の原案、アニメ版ブラック・ジャックの監修や1990年(平成2年)の映画、『ボクが病気になった理由』では大森一樹との共同脚本を手がけている。 2004年(平成16年)7月逝去。死因は肝臓がんだった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「永井明」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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