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永井玄蕃 : ウィキペディア日本語版
永井尚志[ながい なおゆき]

永井 尚志(ながい なおゆき)は、幕末旗本三島由紀夫の父方の高祖父にあたる。名前の読みは「なおむね」とも。
== 生涯 ==
文化13年(1816年11月3日三河奥殿藩の第5代藩主・松平乗尹とその側室の間に生まれた。幼名を岩之丞、号を介堂といった。父の晩年に生まれた息子で、すでに家督は養子の乗羨に譲っていたことから、25歳の頃に旗本の永井尚徳の養子となった。
嘉永6年(1853年)、目付として幕府から登用される。安政元年(1854年)には長崎海軍伝習所の総監理(所長)として長崎に赴き、長崎製鉄所の創設に着手するなど活躍した。安政5年(1858年)にそれまでの功績を賞されて呼び戻され、岩瀬忠震と共に外国奉行に任じられた。そしてロシアイギリスフランスとの交渉を務め、通商条約調印を行なった。その功績で軍艦奉行に転進したが、直後の将軍後継者争いで一橋慶喜を支持する一橋派に組したため、南紀派大老井伊直弼によって罷免され、失脚した。
直弼没後の文久2年(1862年)、京都町奉行として復帰し、元治元年(1864年)には大目付となる。文久3年(1863年)の八月十八日の政変、元治元年(1864年)7月19日の禁門の変では幕府側の使者として朝廷と交渉するなど、交渉能力で手腕を発揮した。慶応3年(1867年)には若年寄にまで出世する。大政奉還においても交渉能力を発揮した。鳥羽・伏見の戦い後は慶喜に従って江戸へ逃げ戻り、その後は榎本武揚と共に蝦夷地へ向かって箱館奉行となり、新政府軍と戦った。しかし、敗れて榎本と共に自決しようとしたが、周囲に止められて降伏した。
明治5年(1872年)、明治政府に出仕し、開拓使御用係、左院小議官を経て、明治8年(1875年)に元老院権大書記官に任じられた。
明治24年(1891年)7月1日に死去した。享年76。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Nagai Naoyuki 」があります。



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