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永山弥一郎 : ウィキペディア日本語版
永山弥一郎[ながやまやいちろう]

永山弥一郎(ながやまやいちろう、天保9年(1838年) - 明治10年(1877年4月13日)は日本江戸時代末期(幕末)から明治時代前期の武士薩摩藩士)、軍人
== 経歴 ==

=== 薩摩藩 ===
天保9年(1838年)、永山休悦の第1子として薩摩国鹿児島郡荒田村(現在の鹿児島県鹿児島市上荒田町など)に生まれる。名は盛弘、通称は弥一郎という。弥一郎は茶坊主(薩摩では特殊能力を有しない若侍は一時茶坊主とされた。例えば西郷従道など)として初出仕し、万斎と称した。弟の永山休二(盛武)も西南戦争に従軍した。
弥一郎は若くして勤王の志を抱き、これに奔走した。文久2年(1862年)、有馬新七らに従って京都に上り、挙兵に荷担して失敗(寺田屋騒動)したが、年少であるという理由で処罰を免れた。慶応3年(1867年)、京都詰となり、陸軍で教練に励む一方で、中村半次郎らと市中見回りをした。この年の7月9日8月8日)、黒田了介と共に坂本龍馬の元を訪れている。
戊辰戦争のときは、城下四番小隊(隊長は川村純義)の監軍として鳥羽・伏見の戦いに参戦した。次いで東山道軍が大垣、池上、内藤新宿を経て白河に進撃すると、四番小隊の監軍として有数の激戦であった白河攻防戦で戦い、白河城陥落後は棚倉に転戦した。この棚倉戦で重傷を負い、横浜病院に送られたが、療養途中に全治と称して無理矢理に隊に帰った。会津若松城に進撃する際は、川村指揮の下で十六橋の戦いに勇戦した。鳥羽・伏見の戦いにおいては中村の隊よりも早く幕府軍を抜き、白河城攻防戦では戦線膠着時に弾雨交錯する中、防塁として使われていた酒樽の酒を部下たちと呑みながら幕府軍の疲弊と弾薬消耗を狙った。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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