翻訳と辞書
Words near each other
・ 永昌寺 (台東区)
・ 永昌寺 (関市武芸川町)
・ 永昌源
・ 永昌県
・ 永昌県 (曖昧さ回避)
・ 永昌県 (遼寧省)
・ 永昌記
・ 永昌院 (山梨市)
・ 永明
・ 永明中学校
永明体
・ 永明寺
・ 永明寺古墳
・ 永明小学校
・ 永明延寿
・ 永明王
・ 永易克典
・ 永易将之
・ 永春
・ 永春県


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

永明体 : ウィキペディア日本語版
永明体[えいめいたい]
永明体(えいめいたい)は、中国南北朝時代南斉武帝永明年間(483年-493年)に流行した詩体である。武帝の次男である竟陵王蕭子良の西邸に集った文人竟陵八友」のうち、沈約謝朓王融らを中心として創作された。
特徴としては、の形式・韻律の美を自覚的に追求し、それ以前の東晋時代に流行した、老荘思想に基づく晦渋な言辞を使用する「玄言詩」の風格を脱却した、高雅で洗練された詩風があげられる。特に韻律の規則として沈約が提唱したとされる「四声八病説」は、時代が下るにつれ実際の創作に適応するものに整備・簡略化され、唐代に完成した近体詩の韻律である「平仄律」の成立へと結実することになる。また詩型の次元でも、それまでの長篇の詩にかわり、近体詩の詩型である絶句律詩の原形とも言える、4句・8句の短詩型の詩が比較的多く制作されている点が特徴的である。
このように永明体は、唐代の近体詩の形成に重要な役割を果たしており、中国の文学史上無視できない位置を占める。また「唐代近体詩」との対比で、永明体及びそれ以後の南北朝後期に作られた詩を「六朝新体詩」として総称することもある。
== 参考資料 ==

*興膳宏「従四声八病到四声二元化」(『唐代文学研究』第3輯、広西師範大学出版社、1992年
*同「律詩への道―句数と対句の側面から―」(『東方学会創立五十周年記念・東方学論集』東方学会1997年
*同「五言八句の成長と永明詩人」(『学林』第28・29号、中国芸文研究会、1998年
*高木正一「六朝における律詩の形成」(『六朝唐詩論考』創文社1999年
*松浦友久「六朝新体詩から唐代近体詩へ―「対偶性」と「拍節リズム」を中心に―」(『中国詩文の言語学 松浦友久著作選1』研文出版2003年

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「永明体」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.