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永池 筑後(ながいけ ちくご 生没年不詳)は戦国時代の武将。初め相良氏家臣、のち日向伊東氏家臣。刑部少輔。実名は不詳。日向国の中世史料である『日向記』には“長池刑部少輔”としてその名が見える。 ==略歴== 初め肥後国の相良氏に仕えていたが、天文14年(1545年)に父と共に相良治頼の乱に加担した。しかし乱は失敗し、筑後は日向国に逃亡した。 その後は日向国の戦国大名伊東義祐に仕え、天文20年(1551年)の目井城攻防戦で上別府宮内少輔等と共に活躍した。 晩年は肥後国に戻り、球磨で余生を過ごしたとされる。 category:戦国武将 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「永池筑後」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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