翻訳と辞書
Words near each other
・ 永治
・ 永治 (日本)
・ 永治 (黎朝)
・ 永治小学校
・ 永治村
・ 永沼停留所
・ 永沼友由輝
・ 永沼秀文
・ 永沼章
・ 永沼臨時停留所
永沼重己
・ 永泉寺れいら
・ 永法
・ 永泰
・ 永泰 (南朝斉)
・ 永泰 (唐)
・ 永泰公主
・ 永泰東駅
・ 永泰県
・ 永泰荘駅


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

永沼重己 : ウィキペディア日本語版
永沼重己[ながぬま しげみ]
永沼 重己(ながぬま しげみ、生年不明1937年4月4日から1938年4月3日の間] - 2012年平成24年〉4月3日)は、福岡県小倉市(後の北九州市)出身の理容師。北九州市小倉北区紺屋町理髪店「ヘアサロン永沼」の元経営者で、パンチパーマの考案者とされる。
== 人物歴 ==
美容室の家に生まれ、19歳で理容業に入り、26歳で独立開業〔。1970年代、それまでの髪型よりもファッション性に優れた男性向けの髪型としてパンチパーマを考案すると、これが全国的に流行する髪型となった。永沼が自らパンチパーマ用に改造したヘアーアイロンはその後の改良の末、1980年昭和55年)に「整髪用電気アイロン」、通称「永沼式エッジ・アイロン」として特許庁に実用新案登録され、理容器具メーカーの協力により商品化された。このアイロンも日本全国で爆発的に売れ、理容関係者らから器具の講習の依頼が殺到したため、永沼は北は北海道から南は沖縄まで、講習のために全国各地を飛び回った。
人物像は、夫人の談によれば「職人の鑑のような人」で、常に店の道具の手入れを欠かさなかった。高熱のヘアーアイロンは頭皮の火傷に繋がり得ることから、夫人がアイロンでわずかでも音をさせると睨みつけたという〔。2008年(平成20年)に大病を患い余命2年の宣告を受けるが、翌2009年(平成21年)に現場復帰〔。その後も薬を飲みながら死去の前々日まで店に立ち(死去前日は定休日)、最期まで生涯現役を貫き通した。75歳没。その後は永沼に20年師事した娘婿が店を継いでいる〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「永沼重己」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.