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永瀬 貴規(ながせ たかのり、1993年10月14日 - )は、長崎県長崎市出身の日本の柔道選手。階級は81kg級。身長181cm。組み手は右組み。段位は弐段。得意技は内股。現在は旭化成に所属〔「柔道全日本強化選手名鑑 2016」近代柔道 ベースボールマガジン社、2016年4月号〕〔「解体新書 永瀬貴規」近代柔道 ベースボールマガジン社、2014年1月号、28-31頁〕。 ==経歴== 柔道は6歳の時に世界選手権の中量級で2位になった大叔父の平尾勝司が師範を務める養心館で兄とともに始めた〔 産経新聞 2015年8月27日〕〔 サンケイスポーツ 2015年12月2日〕。小学校高学年になると修喩館にも通うようになった〔〔。長崎大学教育学部附属小学校5年の時には全国小学生学年別柔道大会の40kg級に出場するが、栃木県代表の高藤直寿に敗れて5位だった。6年の時には45kg級に出場するが、再び高藤に敗れてベスト16止まりだった。なお、小学生当時から会場で兄や上級生の試合を熱心に観戦したり、テレビ放映された柔道大会を録画して技を覚えていくなど研究熱心な姿勢を見せていた。また、両親からは大会で負けても決して叱られることはなかったという〔。長崎大学教育学部附属中学校3年の時には全国中学校柔道大会の66kg級に出場するが、舞鶴中学3年の竪山将に判定で敗れて5位だった〔。 柔道部監督の松本太一に「オレと一緒に日本一になろう」と熱心な勧誘を受けて長崎日大高校に進学すると、早くも1年の時には高校選手権の81kg級で優勝を飾った。2年の時にはインターハイの個人戦と団体戦でともに5位にとどまった。3年の時には8月のインターハイで優勝を果たした〔。9月の全日本ジュニアでは決勝で天理大学1年の丸山剛毅に内股すかしで敗れるが、11月の講道館杯では高校生ながら3位となった〔〕。12月のエクサンプロヴァンスジュニア国際では優勝を飾った。なお、中学高校時代は他のヨーグルトより酸味が少なくタンパク質が豊富なカスピ海ヨーグルトを毎日食していたという〔。 2012年には筑波大学に進学して全日本ジュニアで優勝すると、続くアジアジュニアでも優勝を飾った〔〔筑波大学柔道部 部員紹介 〕。2年の時にはロシアのカザニで開催されたユニバーシアードに出場すると、決勝でウズベキスタンのヤヒョー・イマモフを大外刈の技ありで破って優勝を果たした。また、団体戦でも優勝を飾った〔 日刊スポーツ 2013年7月8日〕〔Universiade Kazan 2013 - DAY 2 Results 〕。11月の学生体重別団体ではチームの優勝に貢献すると、続く講道館杯でも優勝を飾った〔。グランドスラム・東京に出場した時点では世界ランキングが126位に過ぎなったにもかかわらず、準々決勝で世界2位であるグルジアのアブタンディル・チリキシビリを足車で破ると、準決勝ではロンドンオリンピック5位であるパーク24の中井貴裕に合技で一本勝ち、決勝でも世界チャンピオンのフランスのロイク・ピエトリを足車で破って5試合オール一本勝ちで優勝を飾った。これにより、世界ランキングが一挙に23位にまで上昇した〔 日刊スポーツ 2013年11月30日〕。 2014年2月のグランドスラム・パリでは、準々決勝でチリキシビリの前に指導3で敗れて3位にとどまった。4月の体重別では決勝でJRAの長島啓太を指導3で破って今大会初優勝を飾り、世界選手権代表に選ばれた〔 時事通信 2014年4月6日〕。続く全日本選手権では、2回戦で体重別100kg級優勝の熊代佑輔を小外刈、準々決勝で体重別90kg級優勝の吉田優也を指導2、準々決勝で元チャンピオンで100kg超級の高橋和彦を有効で破る健闘を見せるが、準決勝では東海大学4年の王子谷剛志に合技で敗れたものの、81kg級の選手ながら3位入賞を果たした〔 MSN産経ニュース 2014年4月6日〕。8月の世界選手権では準々決勝でチリキシビリに指導3で敗れると、その後の3位決定戦でもピエトリに技ありで敗れて5位に終わった〔世界柔道 日本経済新聞 2014年8月28日〕。世界団体では、準決勝のグルジア戦で世界王者のチリキシビリと再戦して、GSの末に内股で有効を奪ってチームの勝利を決定付けると、決勝では地元ロシアの選手に大内刈で一本勝ちして、チームの優勝に貢献した〔 日本経済新聞 2014年8月31日〕。12月のグランドスラム・東京では、準々決勝でオリンピックチャンピオンである韓国の金宰範を技ありで破ると、準決勝では世界チャンピオンであるチリキシビリを小外掛で昨年に続いて一本勝ち、決勝ではUAEのセルジュ・トマをゴールデンスコアに入ってから指導3で破って、今大会2連覇を達成した〔 スポーツニッポン 2014年12月7日〕。 2015年2月にはグランプリ・デュッセルドルフに出場するものの、初戦でベラルーシの選手に背負投で一本負けを喫した。4月の体重別では決勝で長島を指導3で破って2連覇を果たして、世界選手権代表に選ばれた〔海老沼、中矢ら選出=世界選手権代表-柔道 時事通信 2015年4月5日〕。5月のワールドマスターズでは決勝でロシアのイワン・ニフォントフを崩上四方固で破って初優勝を飾った〔 時事通信 2015年5月25日〕。6月の全日本学生柔道優勝大会では大会8連覇を狙った東海大学と決勝で対戦すると、代表戦において100kg級のウルフ・アロンを指導2で破り、筑波大学を国公立大学として初めてとなる優勝へ導いた〔 時事通信 2015年6月28日〕〔 サンケイスポーツ 2015年6月28日〕。 8月の世界選手権では準決勝でチリキシビリを有効で破ると、決勝ではピエトリに崩上四方固で一本勝ちして優勝を飾った。日本選手がこの階級で優勝するのは初めてのこととなった(前身の階級である78kg級を含めると、1995年の世界選手権で古賀稔彦が優勝して以来20年ぶりになる)〔〔永瀬が日本勢初優勝 NHK 2015年8月27日〕〔Championships 2015, Astana 〕。世界団体では決勝で勝利するなどしてチームの優勝に貢献した〔柔道世界選手権 日本経済新聞 2015年8月30日〕。10月の学生体重別団体では準々決勝で東海大学と対戦して引き分けると、チームも敗れて5位にとどまった。12月のグランドスラム・東京では準決勝で韓国のイ・スンスと対戦すると、指導1でリードした中盤に内股を仕掛けたが跨れたために、股間の下に入り込んだ左手が相手の上裾を掴んだ状態から、相手を掬い投げのように勢いよく投げた。しかしながら、それがポイントにならないどころか、反則負けの対象となる足取りと見なされて3位に終わり、今大会3連覇はならなかった。監督の井上康生はジュリーに対して、一連の攻撃では下半身に触れておらずルール上反則にならないと猛然と抗議した。ビデオで何度もチェックし直すと、下半身には触れていなかったことが明らかになったために、審判側は誤審を認めて謝罪した。だが、結局判定が覆ることはなかった。永瀬を指導する筑波大学総監督の岡田弘隆は、「主審は仕方がない。ビデオでチェックするジュリー(審判委員)の知識と理解が足りなかった。ちょっとレベルを疑います」とコメントした〔 サンケイスポーツ 2015年12月6日〕〔 朝日新聞 2015年12月6日〕〔 東京スポーツ 2015年12月8日〕。 2016年4月の選抜体重別では決勝でJRAの長島啓太を技ありで破って今大会3連覇を飾り、リオデジャネイロオリンピック代表に選出された〔 時事通信 2016年4月3日〕。代表決定後の会見では、「何が何でも金メダルを取りたい。相手が嫌がるような柔道をする」とコメントした〔 サンケイスポーツ 2016年4月4日〕。 IJF世界ランキングは2242ポイント獲得で2位(16/5/2現在)〔World ranking list 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「永瀬貴規」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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