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永見勘太郎 : ウィキペディア日本語版
永見勘太郎[ながみ かんたろう]
永見 勘太郎(ながみ かんたろう、1874年明治7年)4月13日 - 1947年昭和22年)3月6日)は、日本政治家中浜村長(第6代)、中浜村会議員、郡会議員。
第3代中浜村永見林三郎の長男。
== 経歴 ==
小篠津村(のち鳥取県境港市小篠津町)に永見林三郎の長男として生まれる。永見家は勘太郎の祖父清四郎が初代で、四国から藍玉を仕入れる仕事を始めるとともに、自家も紺屋を営んで一代で財を成したといわれる。
父林三郎が村長を退くと入れ替わりに村会に出、郡会議員も3期務めた。
村長在任中は不景気の最中で大篠津繭市場も倒産し、出資者の一人だった勘太郎もかなりの畑を失った。
昭和5年(1930年)にはついに農家更生村の指定を受けて、公益質屋や負債整理組合を発足させた。更に組合製糸創立に加わり、昭和12年(1937年)には永井貞録県議の尽力もあって、新屋灘に県蚕業試験場西伯分場を誘致する等、養蚕業の自衛再興に努力した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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