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永里優季 : ウィキペディア日本語版
大儀見優季[おおぎみ ゆうき]

大儀見 優季(おおぎみ ゆうき、1987年7月15日 - )は、神奈川県厚木市出身の女子サッカー選手。結婚前の姓名は永里 優季(ながさと ゆうき)〔大儀見 優季 〕。ドイツブンデスリーガ1.FFCフランクフルト所属。ポジションはフォワード
実兄の永里源気、実妹の永里亜紗乃は2人共にサッカー選手である。
== 経歴 ==
兄・永里源気の影響で小学1年生のころ林サッカークラブでサッカーを始める。FC厚木レディースを経て日テレ・メニーナに入団。13歳で最寄りの神奈川県厚木市立荻野中学校に通う。本人が「一生の思い出に残るゴール」という、中学生らしからぬ強く速いシュートで、大学生との試合に勝利したのはこの頃〔『なでしこの誓い 世界一の心のきずな物語』ISBN:9784052035203、学研教育出版、2012年10月16日、69-90頁〕。中学2年時には背番号10を付けてプレーし、同時に日テレ・ベレーザにも登録された。中学3年時にはU-18ユース選手権に出場。チームは優勝し大会最優秀選手賞を受賞した。また、日テレでも2試合に出場し、L・リーグデビューを飾った。
神奈川県立厚木東高校に進学した2003年は足の故障により出場機会に恵まれなかったが、2004年、アテネオリンピック・アジア予選のメンバーとして日本女子代表に初選出され、同年4月22日のタイ戦で代表戦デビューした。この頃から、チームでの練習後に個人的に行う居残り練習を始め、すでにブレ球も習得していた。居残り練習によく付き合っていた小野寺志保は、大儀見が世界的なストライカーになることを予感していたという〔。
2005年には5月21日キリンチャレンジカップニュージーランド戦で初得点をあげると、続くロシア遠征での2試合(ともにロシア女子代表と対戦)、東アジア女子サッカー大会2005壮行試合 (対戦相手: オーストラリア) で連続して得点をあげ、日本女子代表では最多タイ記録となる国際Aマッチ4試合連続得点を達成した〔同様の記録を、1993年には高倉麻子が、2003年には澤穂希が達成しており、永里は3人目となる。〕。東アジア女子サッカー大会2005にも出場したが、この時は無得点に終わった。
2006年7月にオーストラリアで行われた2006 AFC女子アジアカップではチャイニーズタイペイ戦で5得点を含む合計7得点を挙げ、同じゴール数を上げた韓国代表鄭政淑とともに大会得点王になった〔AFC Women's Asian Cup 2006 Awards (英語)AFC公式サイト 2007.9.14付ニュースリリース〕。
2007年に中華人民共和国にて開催された2007 FIFA女子ワールドカップに日本代表の一員として出場。グループリーグ第1戦 (対戦相手: イングランド) では後半86分に磯崎浩美と交代する形で出場した〔2007 FIFA Women's World Cup Japan vs. England Match Report (英語) FIFA公式サイト 2010.1.21 05:22 (UTC) 閲覧〕。第2戦 (対戦相手: アルゼンチン) では先発出場、後半ロスタイムに決勝点となる得点を挙げた〔Japan leave it late again (英語) FIFA公式サイト 2010.1.21 05:26 (UTC) 閲覧〕。第3戦 (対戦相手: ドイツ) にも先発出場したが、76分に宮本ともみと交代した〔2007 FIFA Women's World Cup Germany vs. Japan Match Report (英語) FIFA公式サイト 2010.1.21 05:30 (UTC) 閲覧〕。
2010年1月より、女子ブンデスリーガ1部所属のFF USVイェーナの練習に参加〔永里優季選手がドイツFF USV Jenaの練習に参加します 日テレ・ベレーザ公式サイト 2010.1.9付ニュースリリース〕していたが、その後同リーグ1部所属の1.FFCトゥルビネ・ポツダムへのプロ契約による加入が発表された〔永里優季選手移籍のお知らせ 日テレ・ベレーザ公式サイト 2010.1.20付ニュースリリース〕〔Japanische Nationalspielerin Yuki Nagasato spielt zukünftig in Potsdam (ドイツ語) 1.FFCトゥルビネ・ポツダム公式サイト 2010.1.20付ニュースリリース〕。日本人史上初のUEFA女子チャンピオンズリーグ決勝戦では、後半21分から試合に出場し、PK戦でも6人目のキッカーを務め優勝に貢献した〔永里のポツダムが優勝=サッカー女子欧州CL 時事通信社 2010.5.21付記事〕。2010年3月に東海大学体育学部を卒業。
妹の永里亜紗乃ともども、2008年の北京オリンピックのメンバー選考の対象になったため 、代表ユニフォームの背番号上に書かれる名前が「Y. NAGASATO」となった。
2011 FIFA女子ワールドカップでは、全試合出場し1得点を挙げるなど、日本の優勝に貢献。アジア人として初の欧州CLとW杯制覇。
2011年7月、メンタルトレーニングコンサルタントの大儀見浩介と入籍したことを、本人のブログで公表した〔報告 永里優季オフィシャルブログ「über der Spitze」Powered by Ameba〕。2012年6月9日に結婚披露宴を行った〔永里&大儀見氏、挙式!五輪前に絆深める サンケイスポーツ 2012年6月10日閲覧〕。これに伴い、日本サッカー協会に対して「大儀見優季」名義での登録名変更申請を行い、ロンドンオリンピックから大儀見名義でサッカー選手活動を行うこととなった〔「大儀見」で新たな挑戦 時事通信 2012年7月2日閲覧〕。
ロンドンオリンピックでは全試合に出場し、チームトップの3得点を挙げるなど銀メダル獲得に大きく貢献した。
2012-13シーズン、リーグ戦で18得点を挙げる活躍を見せ、初のブンデスリーガ得点王に輝いた〔大儀見、飛躍のシーズン=初の得点王、プレーに幅-独女子サッカー 時事通信社 2013年5月13日閲覧〕。
2013年7月、イングランドFA女子スーパーリーグチェルシーLFCへの移籍が発表された。
2015年1月、ドイツブンデスリーガVfLヴォルフスブルクへ移籍〔大儀見がドイツ・ウォルフスブルクへ移籍 スポニチアネックス 2015年1月4日閲覧〕。
2015年8月、1.FFCフランクフルトへの移籍が発表された〔なでしこ大儀見フランクフルト移籍!2年契約背番9 日刊スポーツ 2015年8月13日付記事〕。
2016年リオデジャネイロオリンピックのサッカー女子アジア最終予選の日本代表(なでしこジャパン)メンバーに選出され、オーストラリア戦で1得点、ベトナム戦で1得点を挙げたが、チームは予選2位以内の可能性がなくなり五輪出場権を逃した〔なでしこ、宮間や大儀見ら20人選出 五輪最終予選 日本経済新聞、2016年3月3日閲覧。〕〔なでしこ、ベトナムに快勝も五輪出場ならず アジア最終予選 日本経済新聞、2016年3月8日閲覧。〕。同年4月6日、大儀見浩介と離婚したことを自身のブログで報告した〔ご報告 永里優季オフィシャルブログ、2016年4月6日閲覧。〕。このため、選手としての登録名は同シーズンまで「大儀見優季」とし、来季からは「永里優季」にすることとなる〔なでしこ大儀見が離婚 遠距離生活のすれ違い原因「時差生じた」 スポニチアネックス、2016年4月6日閲覧。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「大儀見優季」の詳細全文を読む



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