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永野治[ながの おさむ] 永野 治(ながの おさむ、1911年10月9日〔『全日本紳士録』昭和34年版、人事興信所編、1959年、な-49頁〕 - )は、日本の航空技術者、実業家。元海軍技術少佐、元石川島播磨重工業(IHI)副社長。国産のジェットエンジンを開発した技術者。
== 生い立ち == 広島県広島市生まれ。戦後日本の政経財界で揃って活躍した、永野六兄弟の末弟。最も著名な永野重雄は上から二番目で兄である。瀬戸内海、広島県呉市沖に浮かぶ下蒲刈島、浄土真宗本願寺派の名刹、弘願寺が実家。父、法城が寺を継ぐ事を嫌い判事となって中国地方の裁判所を数か所転勤した後、職を辞し広島市内で弁護士事務所を開業した時に生まれたのが治である。なお実際の兄弟は10人。 生後まもなく父が癰症(ようしょう=悪性の腫れ物)で死に、その後一家は長男永野護の並外れた献身のお陰で、みな大学までいった。護の東大時代の親友が財界の巨頭、渋澤榮一の子息だったため勉強相手という名目で謝礼を頂きそれが郷里への仕送りとなった。 東京帝国大学機械工学科卒業。治は学費の免除の特典があったため、東京帝大では海軍委託学生となった。3年在学中の1933年夏、実家からも近い呉市広海軍工廠に実習へ行った時、当時指導官だった種子島時休(のち海軍大佐、戦後日産自動車顧問)の講義を受けた。後年ジェットエンジン開発を共に行う事となる。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「永野治」の詳細全文を読む
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