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求厭[ぐえん] 求厭(ぐえん、生年不詳〔『日本仏家人名辞書』によれば享年80から計算して慶長14年(1609年)で、『続日本高僧伝』にある大坂の陣のときに3歳という話を信じれば慶長16年(1611年)か17年(1612年)となり、『本朝高僧傳』によれば慶長18年(1613年)の生まれだとされる。何れにしろ、国松の弟ならば少なくとも慶長13年よりも後で20年よりも前の何れかとなるが、その場合は享年80という死亡時年齢とは齟齬がでる。〕- 元禄元年(1688年))は、江戸初期の浄土宗の僧。 臨終の際の告白から出自は、豊臣秀頼の第二子であると云う。求厭の姓は豊臣氏、大阪摂津の出身であるとし、それが事実ならば国松の弟ということになる。生母などは不明。『続日本高僧伝』によると、慶長20年(1615年)5月の大坂夏の陣の際は、衛士が江戸に隠したために難を逃れたとする。 初め三縁山増上寺に登り、業を受けた。秀才で善く法門に弘通して、周りの人々を徳で感化させた。後に各地を周遊し、山城国伏見に至り、同地で没した。享年80。 == 脚注 ==
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