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『汐汲』(しおくみ)とは、歌舞伎・日本舞踊の演目のひとつ。 == 解説 == 初演は文化8年(1811年)3月の江戸市村座で、『■話水滸伝』(じだいせわすいこでん)〔■の字は、「股」の下に「皿」という字になっている(『国書総目録』に拠る)。〕の二番目大切に出された七変化舞踊『七枚続花の姿絵』(しちまいつづきはなのすがたえ)のひとつとして、三代目坂東三津五郎が演じた。二代目桜田治助作詞、二代目杵屋正次郎作曲、初代藤間勘十郎振付。〔日本百科全書(ニッポニカ)、小学館。〕七変化の内容は以下の通り。 #女三の宮… 常磐津 #梶原源太… 常磐津 #汐汲……… 長唄と常磐津の掛合い #猿廻し…… 長唄 #願人坊主… 常磐津 #老女……… 長唄 #関羽…… 常磐津 このうち『汐汲』のほか願人坊主は、六代目尾上菊五郎が曲を常磐津から清元に改めてからは、『うかれ坊主』の通称で知られている。 『汐汲』の内容は松風・村雨の伝説や能の『松風』に拠る。松風と村雨という二人の姉妹の海女と、その二人を恋人にした在原行平の話であるが、この踊りにはそれとは違うほかの趣向も入っている(後述)。 舞台は松のある浜辺に満月の見える夜の景色、そこに松風が汐を汲む桶を担いで現れる。松風は烏帽子に狩衣(実際には長絹という能装束)を着ており、これは都へ帰ってしまった在原行平が残したという形見の品である。まず汐を汲む所作を見せ、次に中啓を持っての舞、それから烏帽子狩衣を脱いで行平のことを思うクドキとなる。その次に三蓋傘(さんがいがさ)という傘を三つ重ねたものを持って踊る。この三蓋傘は本来は子供の玩具なので、ここは子供のつもりで踊れとの口伝がある。最後は烏帽子と狩衣を左手に持ち、開いた扇を右手で掲げてきまり、幕となる。なお初演時には長唄と常磐津の掛合いだったが、三代目三津五郎がのちに自身で再演したとき長唄のみの曲として以降、現在でももっぱら長唄のみで踊られている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「汐汲」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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