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江北殲滅作戦[こうほくせんめつさくせん]
江北殲滅作戦(こうほくせんめつさくせん)とは、日中戦争中の1943年2月から3月の間に行われた、湖北省南部での日本軍と中国軍の戦闘である。日本の第11軍が、長江と漢水に挟まれた水郷地帯に侵攻し、中国軍の守備隊を壊滅させて占領した。 ==背景== 1943年(昭和18年)2月当時、岳州北方、長江と漢水に挟まれた水郷地帯は中国軍の支配下にあり、日本軍の占領地帯の中に食い込むように取り残された状態になっていた。この地域の中国軍は、長征時に残留した中国共産党系の部隊を中心とした1個軍で、第118師団(師団長:王厳。3個連隊基幹)と第128師団(師団長:王勁哉(zh, 王頸哉)。6個旅団基幹)、挺進隊3個縦隊(各9個「大隊」編成の約1,000人から、旅団に改編のため増強中〔『昭和十七・八年の支那派遣軍』、367頁。〕)を持ち、第6戦区軍の隷下にあった。煉瓦や粘土で作ったトーチカや鹿柴、クリークを複合した陣地を築いていたが、武器はそれほど充実していなかった。 日本軍はこの地域に1942年(昭和17年)の5月にも第58師団をもって侵攻したことがあったが、浙贛作戦実施のために打ち切りになっていた。その後、さしたる害悪は無いとみて放置していたのであるが、しだいに陣地が増強されていることがうかがわれたため、問題視されるようになった。この水郷地帯の農業生産力の高さに目を付けた日本軍は、再び侵攻して完全占領することにし、作戦計画を立案した。日本の第11軍が、第13師団を主力として北方から、第40師団をもって南方から包囲作戦を行うことになり、さらに第58師団が戦闘は避けつつ前進して投降兵の収容と住民の掌握に努める任務を与えられた。作戦の仮称としては「一号作戦」とも呼ばれており、第11軍にとって1943年最初の作戦を意味したものと推定される〔『昭和十七・八年の支那派遣軍』、319頁。〕。
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