|
江口 襄(えぐち のぼる)は、栃木県烏山町出身の医師、陸軍二等軍医正。作家江口渙の父。 * 1892年(明治25年)相馬事件の際には、相馬誠胤(陸奥中村藩6万石第13代藩主)の死因に疑義がもたれたため青山墓地に葬られた遺骸を掘り起こし、胃部、心臓部などの局部を解剖。 * 1904年(明治37年)日本赤十字社三重支部山田病院(山田赤十字病院、三重県度会郡四郷村)初代院長。 * 東大医学部で森鴎外や、詩人野川隆の父の野川二郎と同期であった。また、北里柴三郎らとも親交があった。 == 栄典 == * 1896年(明治29年)3月24日 - 正六位〔『官報』第3818号「叙任及辞令」1896年3月25日。〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「江口襄」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|