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江崎照雄[えざき てるお]
江崎 照雄(えざき てるお、1934年7月21日 - 2016年2月19日)は、愛知県〔プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、88ページ〕出身のプロ野球選手。ポジションは投手。 == 来歴・人物 == 中京商では、2年生の時にエースとして1951年の春の選抜に出場。1回戦で長良を完封するが、準々決勝(2回戦)で長崎西に敗退〔。チームメートに鹿野鉱一遊撃手(阪神)がいた。卒業後は日本大学へ進学。東都大学リーグでは在学中に5度優勝。1955年の全日本大学野球選手権大会では、決勝で明大の秋山登投手に完封され準優勝。翌1956年の同大会でも、同じく決勝で関大の村山実投手に抑えられ準優勝に終わった。大学同期に島津四郎投手(熊谷組)、人見武雄三塁手、畠中良雄二塁手(阪急)がいた。 卒業後の1957年に毎日オリオンズへ入団〔。同年はルーキーながら3勝をあげるが、その後は低迷。1959年オフに近鉄バファローへ移籍〔。1960年には48試合に登板し、自己最多となる6勝を挙げた。1962年オフに中日ドラゴンズへ移籍したが肩を痛めて、1963年に引退〔。後にスコアラーとなり、1985年は二軍コーチを務めた〔。 2016年2月19日に誤嚥性肺炎のため死去〔。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「江崎照雄」の詳細全文を読む
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