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江戸の人口[えどのじんこう] 江戸の人口では戦国時代、安土桃山時代、江戸時代、明治時代初期における江戸の人口を解説する。 == 概要 == ロドリゴ・デ・ビベロによって1609年ごろに15万人と伝えられた江戸の人口は、18世紀初頭には100万人を超えたと考えられている。なお国勢調査の始まった1801年のヨーロッパの諸都市の人口はロンドン 86万4845人(市街化地区内)〔R. Price-Williams, "The Population of London, 1801–81", Journal of the Statistical Society of London, Vol. 48, No. 3 (1885), pp. 349–440. なお1801年当時の行政区分であるシティ・オブ・ロンドンの人口は12万8129人、後世のグレーター・ロンドンに相当する地域の人口は101万1157人。〕、パリ 54万6856人(城壁内)であり、19世紀中頃にロンドンが急速に発達するまで、江戸の人口は北京〔清朝時代の戸籍人口は都市別集計が余り残っていないものの、北京は1845年に164万8千人とあり、1800年頃はこれよりも人口が少なかったと見られる。〕や広州と同規模か、あるいは世界一であったと推定されている。 また、人口に関しては、記録に残っているのは幕末に60万人近くとなった町人人口のみであり、人口100万人とは、幕府による調査が行われていない武家や神官・僧侶などの寺社方、被差別階級などの統計で除外された人口を加えた推計値である。武士の人口は、参勤交代に伴う地方からの単身赴任者など、流動的な部分が非常に多く、その推定は20万人程度から150万人程度までとかなりの幅があり、最盛期の江戸の総人口も68万人から200万人まで様々な推定値が出されている。雑記等に記される同時代人の推定も50万人から300万人、あるいは2億人以上などとなっている。
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