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江戸ヶ崎源弥 : ウィキペディア日本語版
江戸ヶ崎源弥[えどがさき げんや]

江戸ヶ崎 源弥(えどがさき げんや、1781年 - 1812年8月16日(旧暦7月10日))は、相模国大住郡四之宮村(現:神奈川県平塚市四之宮)出身の元大相撲力士。本名は平野 源弥(ひらの げんや)。
== 来歴 ==
1781年相模国大住郡四之宮村(現:神奈川県平塚市四之宮)の旧・平野家に生まれる。1794年に桐山部屋へ入門、1795年3月場所で初土俵を踏んだ。四股名は出身地の郡名に因んで「大隅」とした。
1797年3月場所から三段目昇進が決定した際に、四股名を「荒馬」に変更した。その後も順調に出世していき、1798年には久留米藩有馬候の抱え力士となった。同年10月場所に東前頭5枚目まで番付を上げ、新入幕を果たした。1804年3月場所には関脇に昇進、1810年2月場所からは「江戸ヶ崎」を襲名し、江戸・本所の回向院境内で行われた同年10月場所(10日間興行)では東前頭筆頭に位置し、5日目に当時無敵を誇った大関雷電爲右エ門に勝利する殊勲の星を挙げた。
しかし、雷電からの殊勲の星が最後の華となり、1812年8月16日(旧暦7月10日)にへ上る途中、東海道藤川宿竹屋で現役のまま死去、31歳没。江戸ヶ崎の死因については、「急病」「岡崎城下で武士との諍いの末に無礼打ちにされた」などの説があるが、「同地の寺社で発生した火災の消火活動中に事故死」という説が有力である〔しかし、四之宮の歴史再発見事業活動委員会の広報誌は、急病説を採用している。〕。江戸ヶ崎の墓は愛知県岡崎市の称名寺にあり、その後分骨されて故郷・神奈川県平塚市四之宮の高林野家の墓所に埋葬された〔境内に墓碑および1847年建立の供養碑が寺の入口に現存している。また、同年9月は江戸ヶ崎没後35年として、四之宮村で相撲の追善興行が行われた。〕。戒名は「侠譽勇哲居士」〔四之宮の歴史再発見活動事業委員会「広報#8」ver.2 2008年3月15日、改訂2011年8月19日 http://pcr.lar.jp/rengou/rk08_edogasaki.pdf〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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