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江戸型山車[えどがただし] 江戸型山車(えどがただし)とは、古く江戸の山王祭・神田祭を中心とした祭礼において引き回されていた山車のこと。またその様式をもとにして造られた山車のこともいう。 ==解説== 山車の濫觴は大嘗祭で用いられた「標山」であるが、この標山をもとにした作り物に車をつけ祭礼のときに用いたのが京都の祇園祭であるといわれる。その後祇園祭において祭の路次の魔よけとして持ち出されていた鉾が巨大化し、四輪の車をつけて移動させるようにしたのが現在見られる祇園祭の「鉾」であり、標山は「山」となっている。 一方徳川家康が関東に江戸幕府を開き、江戸府内の町や寺社が発展してゆく中で、山王権現(現日枝神社)は家康以来の徳川家の守り神として、また神田明神は江戸の総鎮守とされ、その祭礼の行列(神幸祭)は将軍の上覧を受け天下祭と呼ばれるに至った。その渡御する神輿には各氏子町より山車練り物が付き添ったが、初期のころの江戸の山車練り物は京都の祇園祭の影響を色濃く受けていたとみられる。山王権現の氏子である麹町は山王祭に明治に至るまで傘鉾を出していたが、この傘鉾は京都の祇園祭に古くからあり、その影響の名残であるという。やがてそれらの山車の中から吹貫型山車、万度型山車、鉾台型山車と呼ばれる江戸独自のものが現れる。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「江戸型山車」の詳細全文を読む
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