|
江 洪杰(こう こうけつ)は、中華民国の外交官・政治家・実業家。中華民国維新政府の要人。字は子因。 == 事績 == 日本に留学し、明治大学で法学士の称号を取得した。1897年(光緒23年)、山東省の法律学校で教官をつとめる。1899年、同省の県長に転じた。 1907年(光緒33年)、江洪杰は副領事として横浜に赴任する。1912年(民国元年)、外交総長秘書に任ぜられる。1915年(民国4年)、駐日公使館一等書記官に転じた。1930年(民国19年)4月時点で公使館参事官の地位にあったほか〔日本外務省「一般補給留学生事務打合会」昭和5年4月。〕、1921年、1922年、1925年、1930年、1931年に、それぞれ臨時代理公使をつとめた。1931年(民国20年)、駐日公使に昇格、後に駐日代理大使にもなっている〔『東京朝日新聞』昭和13年(1938年)7月27日。〕。 1938年(民国27年)3月、梁鴻志が創設した中華民国維新政府に江洪杰も参加する。同年7月、梁が交通部長の兼任を解除されると、江洪杰が後任の交通部長となった。以後、1940年(民国29年)3月に汪兆銘(汪精衛)の南京国民政府と合流するまで、その地位にあった。 南京国民政府成立後は、日中合弁の中華輸船株式会社で社長となった〔「国策会社の再検討 (6)」『中外商業新報』1940年9月。〕。 以後、江洪杰の行方は不明である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「江洪杰」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|