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江畑新之助 : ウィキペディア日本語版
江畑新之助

江畑 新之助(えばた しんのすけ、1871年-1933年)は、日本政治家秋田県仙北郡飯詰村(現美郷町)の村長。
== 人物略歴 ==
1871年明治4年)、秋田県仙北郡飯詰村中島の素封家の家に生まれた。江畑家は仙北郡では高梨村の池田家に次ぐ大地主であった。
若いころから学問熱心で、敷地内に私塾(漢学塾)「酔経学舎」をつくった〔『わたしたちの美郷町』(2006)〕〔酔経学舎では、若いころの深澤多市も漢学を学んでいる。〕。飯詰村長としては、1916年大正5年)には中島と佐野の小学校を統合して「飯詰尋常高等学校(のちの美郷町立仙南東小学校)」の創立に貢献し、1921年(大正10年)12月12日奥羽線飯詰駅横手駅のあいだに後三年駅が開業すると、江畑は付近の開発に乗り出し、1923年(大正12年)、長岡安平に依頼して飯詰字山本の地に公園をつくった(山本公園)〔。山本公園は小残丘の地形を利用した公園で、翌1924年からは公園内に設けられた後三年競馬場で後三年競馬がはじまっている。同年には秋田県初の全県スキー大会を公園内の後三年スキー場でひらいた。
1932年(昭和7年)9月16日から同年11月28日まで、第8代秋田県町村会の会長を務めた〔町村会の概要「歴代会長」 (秋田県町村会)〕。
村外の治水・用水にも熱心で、千屋村一丈木ため池畑屋村仏沢ため池を建設している〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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