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江稼圃[こう かほ]
江 稼圃(こう かほ、生卒年不詳〔嘉慶20年(1815年) には存命。〕)は江戸時代後期の長崎に来舶した清人画家。日本に文人画の画法を伝える。来舶四大家のひとり〔伊孚九・費漢源・張秋谷・江稼圃を指す。〕。 諱は大来、字は泰交・連山。稼圃は号。浙江杭州臨安の人。 == 略伝 == 幼い頃より絵を好み張宗蒼に師事〔張の没年が1756年であることから疑わしい。〕、また李良にも学んだという。大田南畝は科挙の落第生としている。 文化元年 (1804年)に商船の財副として初来日。以降、数回の来舶記録がある。滞在中は、大田南畝・吉村迂斎・田能村竹田と親しく交友。その他にも菅井梅関〔梅関の号は稼圃より梅図を贈られたことに由来する。〕・鉄翁祖門・木下逸雲らが画法を学んだ。黄公望風の山水画を得意とし江戸末期の文人画の発展に大きく影響した。嘉慶13年(1808年)、斎藤秋圃が稼圃の肖像画を画いている。 弟の江芸閣も来日している。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「江稼圃」の詳細全文を読む
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