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江間俊一 : ウィキペディア日本語版
江間俊一[えま しゅんいち]

江間 俊一(えま しゅんいち、文久元年5月10日〔衆議院『第三十六回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1915年、1頁。〕(1861年6月17日) - 昭和8年(1933年5月31日)は、静岡県出身の、日本弁護士政治家青木しのぶ女優)の父、小桜葉子(女優)の祖父、加山雄三俳優)の曾祖父に当たる。
== 経歴 ==
1861年(文久元年)5月、遠江(とおとうみ、現・静岡県田方郡)に出生。
明治法律学校(現在の明治大学)卒業後、弁護士となり、東京弁護士会常議員、議長を歴任した。
政治家としては東京府会議員、東京市会議員・議長を務め、1902年明治35年)には第7回衆議院議員総選挙立憲政友会から出馬して当選し、その後も第10回衆議院議員総選挙無所属)、第12回衆議院議員総選挙立憲同志会)に当選した。
日露戦争の功で勲四等を受け、鉄道会社の社長なども務めた。
1918年大正7年)、政治家を引退し、腹式呼吸と静座を基本とした「江間式心身鍛錬法」という気合術の普及につとめるようになる。横綱大錦三段目のときに座骨神経痛を一発の気合で治療し、さらに57回にわたり気合いをいれるなどして、横綱への道を歩ませた逸話は有名。
苦学生のための奨学金制度をつくり、多くの若者の世話をした。
1933年(昭和8年)5月31日死去。享年73。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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