|
池原 禾守(いけはら の あわもり、生没年不詳)は、奈良時代の貴族。名は粟守とも記される。氏姓は上毛野公のち池原公。官位は従五位下・主計頭。 == 経歴 == 天平勝宝7年(755年)上毛野公から池原公に改姓〔『正倉院文書』〕。天平宝字年間前半まで東大寺関係の官職を務める〔。 外従五位下に叙せられた後、天平宝字7年(763年)讃岐介に任ぜられると、美濃介・播磨介と地方官を歴任する。この間の天平神護3年(767年)には内位の従五位下に叙せられている。 称徳朝末の神護景雲3年(769年)修理次官に任ぜられると、光仁朝にかけて主計頭・大外記と京官を務めている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「池原禾守」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|