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池原 謙一郎(いけばら けんいちろう、1928年 - 2002年3月)は、日本の造園家。環境デザイナー。ランドスケープデザインの研究者。 筑波大学芸術専門学群で教壇にたちデザインを指導する一方で、公園等の作品を残す。造形美を追求したアート感覚の公園を設計、さらに同世代の造園・環境デザインを担う仲間と活動を積極的に展開し、戦後造園設計界の中心的存在となった。また一方で、サッカー日本代表のサポーター組織「日本サッカー狂会」を立ち上げ、長く日本のサッカーを支援、現在はバレーボールの応援で有名なフレーズ「日本チャ、チャ、チャ」の応援スタイルを考案した〔<日本サッカー狂会 鈴木幹事長> サッカーの発展祈り40年 - nikkansports.com〕。 ==経歴== *1928年(昭和3年)愛知県名古屋市生まれ、津島育ち。 *1941年(昭和16年)旧制愛知県立明倫中学校進学。旧制中学時代は陸上と絵画にとりくむ *1945年(昭和20年)、成績優秀で旧制中学を4年修了し、第八高等学校 (旧制)に進学 *1945年(昭和20年)、東京大学に入学、サッカー部に所属 *1948年(昭和23年)、東京大学農学部農学科園芸第二教室(講座)に進学。丹羽鼎三に師事 *1951年(昭和26年)に卒業、翌年に同大学大学院に進学するも中退し助手に就任 *1955年(昭和30年)、建設省に入省 *1958年(昭和33年)、日本住宅公団宅地部に移籍 *1958年(昭和33年)、庭野デザイナー6人展に参加 *1959年(昭和34年)、白川公園計画懸賞公募に参加し2等 *1960年(昭和35年)、世界デザイン会議に参加。環境部会でパネリストをつとめる *1962年(昭和37年)、サッカーのサポーター組織「日本サッカー狂会(きょうかい)」を設立。 *1963年(昭和38年)、日本技術開発株式会社・総合計画部に移籍、緑地課長に就任 *1964年(昭和39年)、建築家の石井尚や樋渡達也、小林治人、グラフィックデザイナーの早川和也らとチームを組んで、東京都主催代々木公園設計者選定コンペティションに応募。1等は無しで2等に入選。基本構想の原案として採用される *1964年(昭和39年)、国際造園家協会連合IFLA東京大会にかかわる。同年、伊藤邦衛らと幹事となり「造園設計事務所連合」(現ランドスケープコンサルタンツ協会)を発足させる。 *1964年(昭和39年)、東京大学農学部非常勤講師 *1966年(昭和41年)、自身の設計事務所/造園コンサルタントの「環境計画研究室」を設立 * 1969年 日本造園学会賞受賞 * 1972年 第2回日本公園緑地協会北村賞受賞 * 1973年 東北大学工学部非常勤講師 * 1973年 筑波大学大学院芸術学研究科非常勤講師 * 1978年 筑波大学芸術学群教授就任 * 1992年 筑波大学を退官 * 2001年 日本造園学会上原敬二賞受賞 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「池原謙一郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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