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池田光重 : ウィキペディア日本語版
池田光重[いけだ みつしげ]
池田 光重(いけだ みつしげ、生年不明 - 寛永5年5月19日1628年6月20日))は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将。通称は弥右衛門、別名は重信。官位は従五位下備後池田長正の次男。兄に知正。子に三九郎重長(他紋丸)。
文禄元年(1592年)、朝鮮の役にて名護屋城に兵50名で休戦まで在陣した。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは小山評定から、兄知正と共に東軍に属した。子・三九郎は兄の養子となって慶長9年(1604年)に家督を継いだが、翌慶長10年(1605年)、17歳で早世してしまい、光重が家督を継承することとなった。慶長14年(1609年)、大広寺に兄と長男の肖像画と釣鐘、10石の寺領を寄進した。また、次男・他紋丸(重長)の無事成長と武運長久を願い摂津国神田村(現池田市)の八坂神社本殿の再建などをしている。
慶長18年(1613年)、家臣〔親族とも。〕の関弥八郎が貸金横領罪のかどで〔豊臣秀頼を罵る巫女を捕らえた際、取り調べで光重の妻の関与が明らかになったためとも、関弥八郎が巫女に借財して返済せず、光重の妻とも不義密通をしていたためとも。〕、翌19年(1614年)、光重は連座する形で所領を没収され、駿河国法命寺に蟄居した。同年、大坂冬の陣では徳川方として有馬豊氏隊に属して参戦した。戦後、重長と共に摂津池田氏再興を嘆願するため江戸に向かうも、志半ばで同地で没する。
子孫は江戸に留まり、重長、貞長、貞重、興貞、貞彦、貞夫、貞一、貞瑞と続き、貞瑞は明治7年(1874年)後嗣なく没するが、分家していた弟の東作が相続して現在に至る。
== 脚注 ==




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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