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池田斉政[いけだひとしせい]
池田 斉政(いけだ なりまさ)は、備前国岡山藩の第6代藩主。岡山藩池田家宗家8代。 == 生涯 == 安永2年(1773年)4月8日、第5代藩主・池田治政の次男として江戸藩邸で生まれる。庶出の兄政恭がいたが、正室の子であったことから長男として届出がなされた〔。寛政2年(1790年)に元服する。寛政6年(1794年)3月8日、父の隠居により跡を継ぎ、第11代将軍・徳川家斉から偏諱を授かって初名の政久(まさひさ)から斉政に改名した。 父・治政の代の放漫財政を改めて、役職に見合う予算制度の導入や出費の制限など、倹約財政を断行して藩財政の回復を図った。また、文化振興や有能な人材登用などにも努め、藩政をいくらかは再建している。 文政2年(1819年)、嫡子・斉輝が23歳で早世し、文政3年(1820年)に斉輝の長男・本之丞も5歳で死去した。そのため、弟・政芳の長男・斉成を養子に迎えるが、文政9年(1826年)8月に斉成も18歳で死去した。その後、幕府から将軍・家斉の子女を養子に迎えるようにもちかけられるものの、それを断って文政9年(1826年)10月に薩摩藩主・島津斉興の次男・久寧(のち為政、斉敏、鳥取藩池田治道の孫)を婿養子として迎えた。文政12年(1829年)2月7日、家督を斉敏に譲って隠居する。 天保4年(1833年)6月26日、岡山城西の丸で死去した。享年61。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「池田斉政」の詳細全文を読む
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