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宏池会(こうちかい)は、自由民主党の派閥(宏池会系)。通称は岸田派。 流れとしては、池田派→前尾派→大平派→鈴木派→宮沢派→加藤派→(※二派閥分裂)→古賀派→岸田派。 ※2000年11月の加藤の乱に伴う派閥分裂中は、 * 加藤派→小里派→谷垣派 * 堀内派→丹羽・古賀派→古賀派 の二派閥に分かれていたが2008年5月13日、分裂していた二派閥が統一。 == 概要 == 政策科学的機構としては、宏池政策研究会と定義される。創設者の池田勇人以来、大平正芳・鈴木善幸・宮沢喜一と4人の総理・総裁を輩出、野党時代にも河野洋平、谷垣禎一と2人の総裁を出しており、自他共に保守本流の名門派閥と見なされてきた。元来、池田を取り巻く官僚出身の議員やスタッフを中心に形成されたという沿革もあり、今日に至るまで政策に通じた議員が多く在籍する。しかし政策に明るいが政争に暗いと評され、「公家集団」と揶揄されることもしばしばみられる。 当初から離合集散を繰り返してきた自民党各派閥に比べて、各会長の下一致結束して派閥を継続してきたとされ、自民党草創期の名称を今日まで維持している唯一の派閥でもある。しかし1993年の野党転落を機に派の主導権争いが激化して以降は分派や合流を繰り返している。 政策面では、歴史的に明確な一貫性があるわけではないが、自民党内では中道派に属し、特に安全保障では日米関係を重視しながらも、ややハト派的傾向が見られる。小泉政権以降、自民党の主流が保守化する中、後述の宏池会再結集においては意識的にリベラル派の再結集をアピールした。 「宏池会」の名は、後漢の学者・馬融の「高崗の榭(うてな)に臥し、以って宏池に臨む」という一文(出典は『広成頌』)から、陽明学者安岡正篤が命名したものである。池田勇人の「池」の字、池田の出身地である広島の「ひろ」を「宏」に掛けているともいわれる。 永野重雄は、「〇〇会」という名称が世間に存在を知られるようになったのは「宏池会」からではないかと述べている。 創設以来、赤坂の日本自転車会館(赤坂貿易会館→日本短波放送会館を経て現在のビル名)1号館に事務所が置かれていたが、再開発によりビル取り壊しが決定したため、永田町の全国町村会館に移った〔〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「宏池会」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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