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池田秀氏 : ウィキペディア日本語版
池田秀氏[いけだ ひでうじ]
池田秀氏(いけだ ひでうじ、生没年不詳)は、安土桃山時代武将大名。通称は孫二郎。受領名伊予。別名に高祐。父は池田景雄(秀雄)。子に貞雄
近江池田氏佐々木氏の一族。父景雄は六角氏の家臣であったが、六角氏の衰退により織田信長明智光秀に属し、後に豊臣秀吉に仕えて功績をあげ、伊予国大洲2万石を領した。
秀氏は文禄4年(1595年)、豊臣秀次の自刃の際に福島正則福原長堯と共に検視役を務め、慶長2年(1597年)には父と共に慶長の役のため朝鮮へ渡海するが、翌慶長3年(1598年)に父が陣没したため家督を継ぎ、伊予大洲2万石を継承した。関ヶ原の戦いの際は西軍に属し伏見城の戦いなど緒戦において活躍したが、西軍の敗北後は美濃駒野城に篭城するも東軍の徳永寿昌に降伏、所領を没収され高野山に上った。罪を許されて助命されたのちは藤堂高虎に仕えた。子の貞雄はのちに江戸幕府に仕え旗本となっている。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「池田秀氏」の詳細全文を読む



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