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池田綱清 : ウィキペディア日本語版
池田綱清[いけだ つなきよ]

池田 綱清(いけだ つなきよ、正保4年12月24日1648年1月18日) - 正徳元年7月4日1711年8月17日))は、因幡鳥取藩第2代藩主。鳥取藩池田家宗家4代。
鳥取藩初代藩主池田光仲の長男。母は紀州藩初代藩主・徳川頼宣の長女・茶々姫。茶々姫の甥にあたり、のちに第8代将軍となる徳川吉宗とは外従兄弟関係にある。正室陸奥盛岡藩主・南部重信の娘・式姫(長源院)。幼名は新五郎、のち曽祖父・池田輝政より1字を取って初名の輝高(てるたか)を名乗った。官位従四位下、侍従伯耆守、左近衛少将
==経歴==

江戸にある鳥取藩藩邸で生まれる。明暦3年(1657年)、第4代将軍徳川家綱御目見し、寛文元年(1661年)には将軍の面前で元服を行い、そして家綱の偏諱を受けて綱清に改名。従四位下を叙任。寛文10年(1670年)、正室・式姫と婚姻する。
貞享2年(1685年)、39歳で家督を相続する。しかし病弱であったため、父の光仲が後見人として政務を補助した。元禄6年(1693年)、光仲が死去した後は家老ら重臣の補佐を受けたため、光仲が心血を注いだ藩主親政は早くも崩れ、家臣団へ権力が移り、藩政の混乱を招くようになった。(後述)
綱清には子がいなかったため、元禄8年(1695年鹿奴藩(鳥取東館新田藩)の初代藩主である弟仲澄の長男だった長吉(のち輝清、吉泰と改名)を養嗣子に迎える。元禄13年(1700年)に綱清は病気を理由に隠居し、吉泰に家督を譲った。同年、弟の清定に1万5,000石を与え、若桜藩(西館)を立てた。
正徳元年(1711年)7月4日に死去した。法号は清源寺殿良宗常温大居士。綱清の墓は鳥取藩主池田家墓所にある。なお、他の藩主の墓碑は亀趺の上に載っているが、徳川綱吉の「生類憐れみの令」に配慮し亀趺が無い。菩提寺龍峯山興禅寺

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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