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池田重善 : ウィキペディア日本語版
「暁に祈る」事件[あかつきにいのるじけん]
「暁に祈る」事件(あかつきにいのるじけん)は、第二次世界大戦終結後の1940年代後半、ソ連軍によるシベリア抑留の収容所において、日本人捕虜の間で起きたとされるリンチ事件。リンチの指示を行ったとされる人物が、日本への帰国後に逮捕・起訴されて有罪判決を受けたが、本人は冤罪であると主張していた。事件が起きた部隊の名称から「吉村隊事件」とも呼ばれる。
== 経緯 ==

モンゴル人民共和国ウランバートル収容所において、ソ連軍から日本人捕虜の隊長に任じられた池田重善元曹長(収容所内では「吉村久佳」の変名を名乗っていた)が、労働のノルマを果たせなかった隊員にリンチを加え、多数の隊員を死亡させていたとされる。この「暁に祈る」とは、そこで加えられた、裸で一晩中、木に縛り付けられるリンチに対して隊員らによって付けられた名で、縛り付けられて瀕死状態の隊員が明け方になるころ首がうなだれ、「暁に祈る」ように見えたことによるものとされる〔池田は1949年4月13日の証人喚問で、
:「あちらの国においては昼間の処罰は認められません。それで晩の十時から朝の五時まで五、六名を留置場の中、あと残りは全部外に立たせ、或いは坐らせるというふうに実施しました。''そうして丁度外におる者は格好が、結局東方を向きまして、丁度五時頃になりますと、東の空が明るくなつて來る。そのために睡魔に襲われて居睡りを始める。その格好が丁度暁に祈るというような格好に見えたのであります。''」
と証言している(モンゴル側による処罰に基づく措置であるという前提での証言)。〕(戦時歌謡『暁に祈る』の歌詞にある「飲まず食わずのまま夜明けを待つ」といった部分との関連については不明確である)。
この事件は1949年3月に朝日新聞がスクープとして掲載したことがきっかけで知られることになり、元隊員2名が報道直後に「吉村隊長」こと池田元曹長を告発する。これらを受けて、池田と元隊員数名が4月に参議院の「在外同胞引揚問題に関する特別委員会」に証人喚問された。7月に池田は東京地検に任意出頭して逮捕、起訴された。物証はなかったが元捕虜の証言などに基づき、1審の東京地方裁判所1950年7月15日に、逮捕・監禁6件と遺棄致死1件について池田の責任を認め、懲役5年の判決を下した。池田の控訴に対し、1952年4月28日の控訴審(東京高等裁判所)判決は、逮捕監禁1件については責任を認めなかったものの、懲役3年の実刑であった。池田は最高裁判所に上告したが、1958年5月24日に最高裁は上告を棄却し、実刑が確定する。収監された池田は模範囚として刑期満了前の1960年8月に出所した〔読売新聞1980年3月26日23頁〕。
池田はその後も無罪を主張した。1979年8月には関係者2人の新たな証言をもとに東京高裁に再審請求の申立をおこなった〔。約7ヶ月後にこの申立を報じた新聞には、「絶対に許せない」として不快感を示した元隊員のコメントも掲載されている〔。1980年12月に最高裁は「2件の証言申立書は確定判決までの証言内容と変わらない」として請求を棄却した〔読売新聞1980年12月25日夕刊10頁〕。請求棄却の際、池田は「もう一度請求したい」とコメントしていたが、かなうことなく1988年に亡くなった。
実際には池田がモンゴル側の指示を超えて過酷な処罰をしたことは少なからずあったものの、私刑で隊員を死なせたことはなかったという。上記の池田の刑事裁判では残虐なリンチがあったとは認定されなかった。
事件を最初にスクープした朝日新聞の報道は長い間訂正されず、他の雑誌・単行本にも載って広まった。池田は朝日新聞の報道に関して(明確な告訴等は行わなかったが)、著書『活字の私刑台』(1986年)の中で報道被害であることを強く主張している。このほか、抑留経験者である胡桃沢耕史1983年(昭和58年)に執筆して直木賞を受賞した小説『黒パン俘虜記』の中で、池田の姓を挙げ「吉村少佐」として隊員に対する処罰を命じる絶対者として描いた点に関し、胡桃沢を名誉毀損で告発した。胡桃沢は自身が池田の隊に所属したと記したが、池田は該当する人物がいなかったとし、加えて作中に描かれた作業日程と死亡日時が事実と異なるという点を告発の理由としていた。
その後、朝日新聞の記事そのものが誤報ではないかとの指摘もあり、朝日新聞が事実関係の検証を開始。朝日新聞は検証記事を掲載し、1991年(平成3年)にリンチがなかったとした。ただ本件に関する誤報のそもそものスタートが朝日新聞の記事であったことについては、あまり触れられていなかった〔長山治一郎他「驕れる巨象 朝日新聞の失墜」『文藝春秋』2005年11月号〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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