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池田長賢[いけだ ながかた] 池田 長賢(いけだ ながかた、慶長9年(1604年) - 寛文4年2月5日(1664年3月2日))は、江戸時代前期の旗本寄合。池田長吉の五男。母は濱嶋氏。池田長幸の弟。妻は内藤忠重の娘。子に池田長清、娘(初め水野勝忠の妻、離縁後、松平康朗の妻)、娘(竹中重高の妻)がいる。初名は長治。 慶長9年(1604年)生まれる。元和3年(1617年)より徳川家光に近侍する。後に小姓となり、廩米500俵を賜る。同8年(1622年)6月1日、小姓組の組頭となった。翌年(1623年)、従五位下に叙し、帯刀と称し、廩米を改められ、武蔵国埼玉郡において、采地1,000石を知行する。寛永3年(1626年)、常陸国真壁郡・新治郡・下野国芳賀郡の内において2,000を加増される。同11年(1634年)6月16日、書院番の番頭となり、翌年(1635年)12月24日、下総国香取郡・匝瑳郡の内において、3,000石を加えられ、所領は6,000石となった。慶安3年(1650年)11月19日、大番頭となった。寛文4年(1664年)2月5日、死去。61歳。跡を子の長清が継いだ。
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