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池谷 幸雄(いけたに ゆきお, 1970年9月26日 - )は、体操選手、タレント。東京都府中市出身、大阪府大阪市東淀川区(現・淀川区)育ち。清風高等学校、日本体育大学卒 日本体操協会理事。タレントの池谷直樹は弟。 == 略歴 == 4歳で体操を始め、18歳で同級生の西川大輔と共にオリンピックに出場しその身体能力の高さと端整なルックスから若い女性の人気を集めるが、22歳で引退。スカウトではなく自ら志願して芸能活動を始め、ホリプロ文化部(後のスポーツ文化部)へと入る。今では100人以上いるスポーツ文化部だが、池谷が入った当時は、武田修宏、ピーター・フランクル、栗本慎一郎の3人しかおらず、池谷は4番目だった。 ソウルオリンピック、バルセロナオリンピックに出場し、ソウルオリンピックでは団体と個人種目別床運動で銅メダル、バルセロナオリンピックでは、団体で銅メダル、個人種目別床運動で銀メダルを獲得した。 2007年12月31日にハッスルにザ・グレート・サスケと共に参戦。「池谷 銀牙(いけたに ぎんが)」のリングネームでリングに上がった。 2008年3月28日午前、甲州街道の東京都府中市白糸台付近で、車線に進入した無職女性の車が、池谷の車の左側にぶつかり、その弾みで対向車と衝突した。その事故で、池谷は首のねんざと腰の打撲で軽傷を負った。 2015年6月12日、東京都現代美術館で行われたデザイナー山本寛斎のファッションイベントで、退場する際、演出の一部として助走→バック転→後方1回宙返りを披露した際に、右アキレス腱断裂、左ふくらはぎ肉離れで全治2から3カ月の怪我を負った。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「池谷幸雄」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Yukio Iketani 」があります。 スポンサード リンク
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