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汪東興 : ウィキペディア日本語版
汪東興[おう とうこう]

汪東興(おう とうこう、ワン・ドンシン、1916年1月1日 - 2015年8月21日)は中華人民共和国政治家。長年毛沢東の警備責任者を務めた。中国共産党中央委員会副主席、中国共産党中央政治局常務委員などを務めた。
貧農の家庭に生まれる。1932年中国共産主義青年団の団員から中国共産党党員となり、中国工農紅軍(紅軍)に参加。紅軍第二野戦委員の政治委員、八路軍衛生部副主任組織科科長、ベチューン国際和平総委員政治委員などを務め、延安への長征にも参加した。国共内戦時には中央直属隊司令部副参謀長を務める。1947年から毛沢東や周恩来の警護に当たる。
1949年に中華人民共和国が建国されると、政務院秘書庁副主任、公安部副部長、党中央書記処弁公処副処長兼党中央警衛団団長などを歴任。1955年には少将の階級を授与され、中南海内部の警備を掌握した。1957年江西省副省長に左遷されるが、1968年党中央弁公庁主任、中央警衛局党委第一書記、総参謀部警衛局長として中央に復帰。1969年の第9回党大会で政治局委員候補、1973年の第10回党大会で政治局委員に選出される。文化大革命期、下放されていた鄧小平と毛沢東のパイプ役を担い、鄧小平は手紙で近況を報告した。林彪四人組には手出しさせずに対応させていたことからも、汪東興が信頼されていたことがうかがえる。
1976年9月に党主席毛沢東が死去すると、華国鋒に協力し、自らが指揮する8341部隊で四人組を逮捕した。その功績により1977年に党副主席・中央政治局常務委員に選出される。毛沢東の遺嘱を受けたとされる華国鋒ら「すべて派」と共に権力を固めたが、1978年鄧小平が復権すると「すべて派」は次第に劣勢に追い込まれ、第11期3中全会で批判を受け、中央弁公庁主任などの職務を解任される。
1980年2月第11期5中全会において党副主席・中央政治局常務委員を辞任、華国鋒と共に表舞台を退いた。1982年9月の第12回党大会で中央委員候補、1985年から党中央顧問委員会委員を務めた。
2015年8月21日5時28分(中国標準時)、病気のために北京市内の病院で死去した。99歳没。
==参考文献==





抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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