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汾西王(ふんせいおう、生年未詳 - 304年)は百済の第10代の王(在位:298年 - 304年)であり、先代の責稽王の子。母は帯方郡の太守の娘である宝菓夫人。諱・諡は伝わっていない。298年9月に先王が西晋・貊の軍と戦って戦死したため王位についた。 304年2月には楽浪の西部を奪取したが、10月、楽浪太守の放った刺客によって殺害された。 == 参考文献 == *金富軾撰、井上秀雄訳注『三国史記』第2巻、平凡社〈東洋文庫425〉、1983年 ISBN 4-582-80425-X 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「汾西王」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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