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沈(しん)は、周公旦の後裔であり、西周から春秋時代に江漢流域にあった諸侯国で、春秋時代に強大な隣国楚に多くは従属し、の前に蔡に滅ぼされた。 汾水流域には他に古沈が遠く周王朝成立前に存在し、その地は春秋時代には晋の国内となっており、「春秋左氏伝」の昭公元年に記載が見られる。 == 建国 == 北宋欧陽脩の「新唐書」中の「宰相世系表」には、沈の始祖は周の文王の子聃叔季としているが、この説は確かではない。 「殷周金文集成」に収録されている、西周初期の青銅器「沈子它簋」があり、その銘文の釈読は比較的難しいのであるけれども、銘文中に「周公」の2字があることが確認されている。許倬雲及び温廷敬らの学者はこの銘文によって、沈は西周初期の周公旦の後裔であって、聃叔季ではないことを指摘している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「沈」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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