翻訳と辞書
Words near each other
・ 沈ユー傑
・ 沈丁花
・ 沈下性肺炎
・ 沈下橋
・ 沈下歯
・ 沈不害
・ 沈世籍
・ 沈丘
・ 沈丘県
・ 沈丹旅客専用線
沈亮
・ 沈伯玉
・ 沈佺期
・ 沈保平
・ 沈倫
・ 沈傲君
・ 沈兆霖
・ 沈光
・ 沈勇
・ 沈勇の士


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

沈亮 : ウィキペディア日本語版
沈亮[しん りょう]
沈亮(しん りょう、404年 - 450年)は、南朝宋官僚政治家は道明。本貫呉興郡武康県
== 経歴 ==
沈林子の次男として生まれた。学問を好み、文章を得意とした。弱冠にならずして、揚州に召されて従事となった。会稽郡太守孟顗の不法を弾劾して、西曹主簿に転じた。三呉の水害により、穀物価格が騰貴して民衆が飢えに苦しんだため、沈亮は富家の備蓄の放出と酒造の禁止を彭城王劉義康に提案して、施行された。
440年(元嘉17年)、武陵王劉駿南豫州刺史となると、沈亮はその下で参征虜軍事を代行した。この頃、墓の盗掘があると近村の民に罪を連座させていたため、沈亮は連座の罰を緩和するよう提案した。また西府の兵士の兵役を15歳から60歳までに制限するよう上奏した。始興王劉濬が揚州刺史となると、沈亮はその下で揚州主簿・秣陵県令となった。有能が文帝に認められて、尚書都官郎として入朝した。
445年(元嘉22年)、武陵王劉駿が撫軍将軍・雍州刺史となると、沈亮はその下で南陽郡太守となり、揚武将軍の号を加えられた。庠序を置いて儒学を教授させ、少数民族の反抗を鎮圧し、違法な婚姻を厳禁し、農業を中心とした殖産につとめるといった礼教政治を展開した。448年(元嘉25年)、南譙王劉義宣の下で司空中兵参軍に任じられた。449年(元嘉26年)、隨王劉誕後将軍・雍州刺史となると、沈亮はその下で後軍中兵参軍となり、義成郡太守を兼ねた。450年(元嘉27年)、在官のまま死去した。享年は47。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「沈亮」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.