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沈欽(しん きん、503年 - 569年)は、南朝陳の外戚。文帝の皇后沈妙容の兄にあたる。本貫は呉興郡武康県。 == 経歴 == 梁の安前中録事参軍の沈法深の子として生まれた。陳蒨(のちの文帝)の征戦に従軍して、功績により貞威将軍・安州刺史に上った。文帝が即位すると、建城侯の爵位を受け、通直散騎常侍・持節・会稽等九郡諸軍事・明威将軍・会稽郡太守に任じられた。入朝して侍中・左衛将軍・衛尉卿となった。光大年間に尚書右僕射となり、まもなく左僕射に転じた。569年(太建元年)、宣帝が即位すると、雲麾将軍・義興郡太守として出向した。同年のうちに死去した。享年は67。侍中・特進・翊左将軍の位を追贈された。諡は成といった。 子の沈観が後を嗣ぎ、御史中丞に上った。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「沈欽」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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