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沈鴻烈[しん こうれつ]
沈 鴻烈(しん こうれつ〔『最新支那要人伝』136頁は「ちん こうれつ」との読みを当てている(更に言えば、同書は沈姓の人間全員に「ちん」の読みを当てている)が、これは明らかに誤り。姓としての「沈」は(同義漢字は「瀋」)、すなわち「しん」の読みが正しい。「沈」を「ちん」と読む場合には、(同義漢字は「沉」)でなければならない。〕)は中華民国(台湾)の海軍軍人・政治家。北京政府では奉天派に属して東北海防艦隊を設立し、国民政府でも同艦隊(東北海軍と改称)を率いた。字は成章。 == 事跡 ==
=== 清末の活動 === 塾教師の家庭に生まれ、18歳で秀才となっている。しかし、1904年(光緒30年)に軍人の道に転じて武昌で新建陸軍に加入し、後に初級軍官補習班教習(教官)となった。1906年(光緒32年)春に日本へ渡り、海軍兵学校第2期を卒業している。なお、在学期間中に中国同盟会に加入し、楊宇霆とも交流している。 1911年(宣統3年)夏に帰国し、海軍で教練官や参謀を歴任する。同年10月、武昌起義(辛亥革命)が勃発すると、沈鴻烈は革命派の湖北軍政府で海軍宣慰使に任ぜられる。沈は清朝側の海軍に革命派への転向を働きかける工作を展開し、革命派に転じた艦隊と共に南京攻略に参加した。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「沈鴻烈」の詳細全文を読む
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