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沖原 光孚(おきはら こうふ、1848年4月6日(嘉永元年3月3日) - 1931年9月11日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。男爵。 ==経歴== 岩国藩士・松浦周蔵の四男として生まれ、沖原為蔵の養子となる。精義隊士として戊辰戦争に従軍。 1871年、陸軍中尉。御親兵第7番大隊付、第14番大隊付、東京鎮台第1大隊付などを経て、陸軍戸山学校に学ぶ。第8大隊付、歩兵第3連隊付、歩兵第2連隊中隊長などを歴任し、1877年3月から11月まで西南戦争に出征した。 別働第1旅団歩兵第1大隊長、歩兵第2連隊副官、歩兵第10連隊大隊長、近衛歩兵第1連隊大隊長、陸軍省人事局次長、総務局第4課長、人事課長、第2師団参謀長、陸軍教導団長などを歴任し、日清戦争には歩兵第13連隊長として出征した。 1895年4月、陸軍少将。歩兵第1旅団長を経て、歩兵第4旅団長として台湾に出征(乙未戦争)。歩兵第8旅団長を経て、1901年5月、陸軍中将に進む。第11師団長や留守第9師団長、第15師団長などを歴任した。1906年7月6日、予備役に編入され〔『官報』第6906号、明治39年7月7日。〕、1910年4月1日、後備役となる〔『官報』第8031号、明治43年4月4日。〕。1915年4月1日に退役した〔『官報』第811号、大正4年4月19日。〕。 また、1907年9月、日露戦争の軍功により男爵を授けられた。1911年9月〔『官報』第8480号、明治44年9月25日。〕から1925年7月まで貴族院議員を務めた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「沖原光孚」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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