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沖縄戦争 : ウィキペディア日本語版
沖縄戦[おきなわせん]

沖縄戦(おきなわせん、沖縄の戦い)は、太平洋戦争大東亜戦争)末期の1945年昭和20年)、沖縄諸島に上陸したアメリカ軍を主体とする連合国軍日本軍との間で行われた戦いである。連合軍側の作戦名はアイスバーグ作戦(、氷山作戦)。琉球語では、Ucinaaikusa (ウチナー(沖縄)いくさ(戦、軍)、の意)ともいう〔半田一郎 『琉球語辞典』第1版 大学書林、1999年、563頁。ISBN 4-475-00144-7。〕。
太平洋戦争において、日米の最大規模で最後の戦闘となった。

== 概要 ==
沖縄戦は1945年3月26日から始まり、主な戦闘沖縄本島で行われ、組織的な戦闘は6月20日ないし6月23日に終了した。アメリカ軍の目的は日本本土攻略のための航空基地・補給基地の確保であった。日本軍の目的は、大本営がアメリカ軍に大打撃を与えて戦争継続を断念させる決戦を志向したのに対し〔戸部(1991年)、238頁。〕、現地の第32軍司令部は当時想定されていた本土決戦〔本土決戦は1945年1月の『帝国陸海軍作戦計画大綱』、『決戦非常措置要綱』等を元に1945年後半を想定して決戦準備がなされていた。〕に向けた時間稼ぎの「捨石作戦〔「読谷村のあゆみ“怒”1―時間稼ぎの捨石作戦 」『読谷バーチャル平和資料館』 読谷村役場、2008年3月18日。(2012年5月26日閲覧)〕」(持久戦)を意図するという不統一な状況であった〔。第32軍はサイパンの戦いなどで失敗した水際防御を避け、ペリリューの戦い硫黄島の戦いで行われた内陸部に誘い込んでの持久戦を基本方針として戦い、特に首里(現・那覇市の一部)北方で激戦となった。海上では大本営の決戦構想に基づき特別攻撃隊を中心とした日本軍航空部隊が攻撃を繰り返し、戦艦大和」などの日本海軍残存艦隊による「沖縄特攻」も行われた。
1945年5月末に第32軍の首里司令部は陥落し、日本軍は南部に撤退したが6月下旬までに組織的戦力を失い、6月23日には牛島司令官らが自決。その後も掃討戦は続き、アメリカ軍は7月2日に沖縄戦終了を宣言し、最終的な沖縄守備軍の降伏調印式が行われたのは9月7日である。
陸海空において日米の大兵力が投入された。アメリカ軍側の最高指揮官であった第10軍司令官バックナー中将が日本陸軍の攻撃で戦死するなど、フィリピンの戦い硫黄島の戦いと並び太平洋戦域のみならず第二次世界大戦における最激戦地のひとつとなった。使用された銃弾砲弾の数は、アメリカ軍側だけで2,716,691発。このほか、砲弾60,018発と手榴弾392,304発、ロケット弾20,359発、機関銃弾3,000万発弱が発射された〔ファイファー(1995年)〕。地形が変わるほどの激しい艦砲射撃が行われたため、「鉄の暴風()」などと表現される〔日本語の呼称「鉄の暴風」は、1950年に刊行された沖縄タイムス社編『鉄の暴風』に、英語での呼称the Typhoon of Steel(鉄の台風の意味)はベローテ兄弟の同名の著書にちなむ。〕。残された不発弾は、70年を経た2015年でも23トンにものぼり、陸上自衛隊などによる処理が続く。1トン爆弾も本土復帰の1972年以降だけでも6件見つかっている。
沖縄での両軍及び民間人を合わせた地上戦中の戦没者は20万人とされる〔「Q.4 沖縄県民は、「沖縄戦」でどのような被害を受けたのですか。 」『空襲被害者等援護法Q&A』 全国空襲被害者連絡協議会。(2012年5月26日閲覧)〕。その内訳は、沖縄県生活福祉部援護課の1976年3月発表によると、日本側の死者・行方不明者は188,136人で、沖縄県外出身の正規兵が65,908人、沖縄出身者が122,228人、そのうち94,000人が民間人である。日本側の負傷者数は不明。アメリカ軍側の死者・行方不明者は14,006人、イギリス軍の死者が82人で、アメリカ軍の負傷者72,012人であった〔『平和への証言』141頁 沖縄県生活福祉部援護課、連合軍は平和記念公園内『平和の礎』刻銘データー〕(日本側被害の詳細は#住民犠牲についてを参照)。
なお沖縄戦の特徴を表す端的な表現として戦後長らく「国内唯一の地上戦」が使われてきたが、正確な表現ではない。現在は日本領でないが当時は日本領で日本本国(当時の表現での「内地」)であった北海道占守郡における「占守島の戦い」や樺太庁全域における「樺太の戦い」があり、また現在も日本領である東京都硫黄島村(現・小笠原村)の硫黄島における「硫黄島の戦い」もあるからである。このため2010年、日本政府は国会質問への答弁書をつくる際、「唯一の地上戦」という認識が「必ずしも正確ではない」と閣議決定している〔内閣総理大臣 鳩山由紀夫内閣参質174第70号 参議院議員糸数慶子君提出沖縄戦に関する質問に対する答弁書 』 2010年5月21日〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Battle of Okinawa 」があります。



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