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沢田謙太郎 : ウィキペディア日本語版
沢田謙太郎[さわだ けんたろう]

沢田 謙太郎(さわだ けんたろう、1970年5月15日 - )は、神奈川県鎌倉市出身の元サッカー選手、サッカー指導者(JFA 公認S級コーチ)。現役時代のポジションはDFで主に右サイド。
現・サンフレッチェ広島ユース監督。
==来歴==

===現役時代===
藤沢西高校から中央大学を経て、1993年柏レイソルに入団。入団当時は攻撃的なMFでの出場機会が多かったが、2年目から右サイドバックにコンバートされた。右サイドからの素早い上がりを持ち味とし、DFとしても堅実な守備で貢献した。この活躍が認められJFLの新人王とベストイレブンに輝くなど、チームの原動力となりJリーグ昇格も果たした。
1995年はJリーグ昇格1年目の柏で活躍を見せ、柏レイソル発足後初の日本代表にも選出され通算4試合に出場。しかしこれ以降はフィジカル面を指摘され代表のポジションを奪うまでには至らなかった。
翌年以降もJリーグで出場を続けたが、1998年に就任した西野朗監督による3バックの採用に伴い、徐々に出場機会が減少した。しかし成績上の問題から4バックで臨む試合となると定位置は不動であった。しかし、この年のオフにベルマーレ平塚から洪明甫、消滅した横浜フリューゲルスから薩川了洋の加入が決定的となり、3バックの陣容が整ったことから戦力外通告を受けた。
1999年からサンフレッチェ広島に移籍。間もなく右WBとして定位置をつかみ全盛期の勢いを取り戻す。特にチームの精神的な面でも貢献した。2001年ごろから駒野友一が右SBのポジションを掴んだため、右SBだけではなくボランチとしても出場。2003年は故障がちで満足な活躍ができなかったが、精神的な面でチームを支え、チームのJ1昇格に貢献。昇格決定したサガン鳥栖戦に途中交代出場しピッチ上で勝利と昇格の喜びを味わった。その年のオフに広島からコーチのオファーを受けるも現役にこだわり、アルビレックス新潟などのテストを受けるも、夫人の言葉で決意し、現役を引退。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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