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大塚山古墳(おおつかやまこふん)は、大阪府羽曳野市・松原市にある前方後円墳。 宮内庁により「大塚陵墓参考地」(被葬候補者:第21代雄略天皇)として陵墓参考地に治定されている。 全国で大仙陵古墳(大阪府堺市)、誉田御廟山古墳(大阪府羽曳野市)、上石津ミサンザイ古墳(大阪府堺市)、造山古墳(岡山県岡山市)に次ぐ第5位の規模の巨大古墳である。 == 概要 == 6世紀後半に築造された大和王権の大王墓と考えられているが、学術的発掘調査が行われていないため被葬者を特定できていない。民話には雄略天皇陵という伝承がある。また敏達天皇が磯長陵から改葬されたという説もある〔森浩一「推古天皇が母と夫に捧げた陵墓」『芸術新潮』2012年6月号〕。 大正期までは墳丘内に人が住居を構えており村が存在したが、1925年に陵墓参考地となり強制退去させられ、1932年に陵内立入禁止となって現在に至っている。管理は宮内庁が行っている。 かつて住んでいた人の証言から、後円部にある埋葬施設は横穴式石室である可能性が高いとされている。また、今城塚古墳、見瀬丸山古墳、鳥屋ミサンザイ古墳などと同様に、前方後円墳の中でも古墳時代後期の一部に見られる「剣菱形」と呼ばれる特異な形状をしている。(前方部の中央がやや外側に突き出すように角ばっている構造を指す)また、埴輪をもっていない。今城塚と見瀬丸山古墳の中間に編年されうる。 古市古墳群の一つとされるが、百舌鳥古墳群と古市古墳群のおよそ中間地点、最も西寄りの離れた場所に存在する。このため学術的には古市古墳群に該当しない見方もあるため、世界遺産への登録を目指している両古墳群のリスト等には含まれていない。 ==規模== 古市古墳群最後の巨大前方後円墳であり、墳丘長335メートルは大仙陵古墳(仁徳天皇陵)、誉田御廟山古墳(応神天皇陵)、上石津ミサンザイ古墳(履中天皇陵)、備中造山古墳に次ぐ全国第5位に相当する。 墳丘の周囲には濠がめぐらされている。 *墳丘長 335メートル *前方部幅 230メートル *後円部直径 185メートル *前方部高さ 4メートル *後円部高さ 20メートル ==所在地== 大阪府松原市西大塚、羽曳野市南恵我之荘 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「河内大塚山古墳」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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