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河北潟(かほくがた)は石川県中部にある潟湖である。金沢平野の北部に位置し金沢市、河北郡内灘町にまたがる〔。古くは蓮湖・大清湖(たいせいこ)とも呼ばれた。潟周辺には約70km²に及ぶ湖岸平野が広がる〔笠間(2000):99ページ〕。 日本海沿岸にある内灘砂丘でせき止められてできた海跡湖である。かつては汽水湖であったが、干拓が行われた現在は淡水湖。干拓前は面積23km²、周囲長約37kmであった〔が、2014年10月1日現在の面積は4.20km²〔である。 == 埋め立てと干拓 == 古くから細々と埋立が試みられた。このことは潟端(津幡町)の地名などに痕跡が見られるが、小規模なものであった。 1851年には、豪商銭屋五兵衛が私財を投じて干拓を試みた。しかし埋め立ての土砂を固めるのに石灰を使用したことを毒物を流したと曲解され、翌年、付近で発生した伝染病の原因がその毒物で汚染された魚を食べたからと噂された。このため五兵衛は投獄され、獄中死したため事業は中断された。 第二次世界大戦後、内灘試射場問題で内灘村(現在の内灘町)は見返りとして河北潟の干拓事業を要求。1963年から農林水産省による国営事業として行われ、約1100haの農地が1985年に完成した。しかし既に農業は減反政策の時代に移っており、このため2014年4月現在も未入植地が多く残る。 この干拓と埋め立てにより豪雨により潟にたまった水を海へと放出する防潮水門をはじめ数台のポンプ施設、堤防、淡水湖と汽水湖を分ける水門など数々の施設が出来た。 河北潟が埋め立てと干拓の双方を行っていることから地元ではこの2つの違いを小学校の中学年、高学年で河北潟を題材に学ぶこともある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「河北潟」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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