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河原侃二 : ウィキペディア日本語版
河原侃二[かわら かんじ]

河原 侃二(かわら かんじ、1897年4月16日 - 没年不詳)は、日本の俳優であり〔キネマ旬報社, p.178.〕〔蒲田, p.29-30.〕〔''河原侃二''、''jlogos.com'', エア、2013年2月20日閲覧。〕〔''河原侃二''日本映画データベース、2013年2月20日閲覧。〕〔''河原侃二''、日本映画情報システム、文化庁、2013年2月20日閲覧。〕〔''河原侃二''、映連データベース、日本映画製作者連盟、2013年2月20日閲覧。〕〔''河原侃二''KINENOTE, 2013年2月20日閲覧。〕〔''河原侃二''allcinema, 2013年2月20日閲覧。〕〔''河原侃二''テレビドラマデータベース、2013年2月20日閲覧。〕〔''河原侃二''東京国立近代美術館フィルムセンター、2013年2月20日閲覧。〕、詩人編集者出身で写真家としても知られる〔〔ヴェス単作画の実技 国立国会図書館、2013年2月20日閲覧。〕〔刊行会, p.275-277.〕。本名同じ〔〔〔。詩人としての筆名は河原 森月(かわら しんげつ)〔伊藤, p.42-50.〕。萩原朔太郎とともに詩誌『侏儒』を創刊し、新劇俳優としては「築地小劇場」「第二次芸術座」の設立に参加、写真の世界では「ヴェス単の名手」として知られる〔〔〔。
== 人物・来歴 ==

=== 詩歌と絵画と新劇と ===
1897年(明治30年)4月16日兵庫県赤穂郡赤穂町(現在の同県赤穂市)に生まれる〔〔〔〔。
生後に東京に移り、東京府荏原郡品川町(現在の東京都品川区)の旧制・公立小学校品川学校(のちの品川区立品川小学校、現在の品川区立品川学園小学校)に入学、同校を卒業して、東京市芝区(現在の東京都港区)の旧制・正則中学校(現在の正則高等学校)に入学する〔〔。中途で同校から、旧制・群馬県立前橋中学校(現在の群馬県立前橋高等学校)に編入学して、のちに同校を卒業する〔〔。
同校在学中の1914年(大正3年)8月、萩原朔太郎を筆頭に参加した詩誌『侏儒』(こびと)を創刊、満17歳にして同誌の編集人となり、編集部を前橋市堀川町(現在の同市表町)の河原宅に置いた〔室生犀星未発表書翰二十一通 藤田福夫金沢大学、2013年2月20日閲覧。〕〔〔。同誌には、当時河原が深く交流し詩についての薫陶を受けた朔太郎のほか、北原白秋山村暮鳥前田夕暮室生犀星村田ゑん尾山篤二郎木下謙吉北原放二らが参加しており、同県内における最初の本格的な詩誌として評価された〔〔〔〔丑木・宮崎, p.186.〕。同誌には、すでに絵画に興味があった河原による版画が掲載されている〔。同年9月に尾山篤二郎が創刊し、犀星、朔太郎、窪田空穂、白秋、暮鳥らが参加した詩誌『異端』には、河原の書いた短歌が掲載された〔。1918年(大正7年)には、河原が中心となって詩誌『天景』を前橋で創刊、萩原恭次郎らがこれに参加する〔萩原, p.493.〕。
その後、東京に戻り、本郷区春木町(現在の文京区本郷)に岡田三郎助が設立した本郷洋画研究所で洋画を学ぶ〔〔〔。画業は中途で放棄し、女子文壇社、次いで報知新聞社でそれぞれ記者を務めた〔〔〔。その後、新劇の世界に入って舞台俳優となり、青山杉作の主宰する「新劇団」、友田恭助初代水谷八重子の「わかもの座」、村山実らによる「踏路社」(1917年 - 1920年)に参加した〔〔〔。奥野信太郎の指摘によれば、河原は、関東大震災前の時期に浅草公園六区で隆盛を極めた「浅草オペラ」の舞台に出演していたという〔藝能, p.48.〕。
1923年(大正12年)9月1日の震災を経験した後は、小山内薫土方与志の「築地小劇場」(1924年 - 1930年)、水谷竹紫・初代水谷八重子が1924年(大正13年)に始めた「第二次芸術座」、井上正夫一座にそれぞれ参加した〔〔〔。とくに「築地小劇場」では、河原はその設立メンバーであり、友田恭助、東屋三郎汐見洋、青山杉作ともに演技部に所属し、のちに新劇界の重鎮となっていく千田是也山本安英田村秋子丸山定夫らは当時はまだ研修生であった〔彼岸の築地小劇場 大正デモクラシーから十五年戦争にいたる新劇運動 照井日出喜北見工業大学、2013年2月26日閲覧。〕。同年7月12日に同劇場が上演したカレル・チャペック作の『人造人間』にも出演した〔田中, p.204-208.〕。「第二次芸術座」による小寺融吉作、水谷八重子主演の『真間の手古奈』には赤丸役で出演している〔。水谷の回想によれば、このときの同座の陣容は、水谷や河原のほか、田辺若男金平軍之助浅野進治郎、山岸静江(のちの河原崎しづ江)で、外部からの客演はなかったという〔水谷, p.31.〕。同年5月、芸術座の『軍人礼讃』で河原が演じたペトコフは、岸田國士に「至極愉快な人物になつてゐる」と評価された〔芸術座の『軍人礼讃』 岸田國士青空文庫、2013年2月26日閲覧。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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