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瓦林正頼(かわらばやし まさより、生年不明 - 永正17年(1520年))は細川氏の家臣。瓦林城主。「瓦林」は「河原林」、「正頼」は「政頼」と表記されることもある。 瓦林氏は摂津国武庫郡付近の国人であり、摂津国守護であった細川氏に仕えていた。 正頼は永正5年(1508年)摂津守護となった細川高国に従い各地を転戦する。永正8年(1511年)、高国の命により鷹尾城を築城したが、赤松義村に攻められ正頼は伊丹城へ退却した(芦屋河原の合戦)。 永正13年(1516年)、自らの拠点として越水城を築いた正頼は鷹尾城を奪還する。その後も、高国と細川澄元との戦いに高国方として武功を立てたが、永正17年(1520年)、高国から謀反の疑いを掛けられ自害を命ぜられた。 墓所は、極楽寺(兵庫県西宮市)にある。 category:戦国武将 category:摂津国の人物 category:自殺した人物 category:生年不明 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「瓦林正頼」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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