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河埜 和正(こうの かずまさ、1951年11月7日 - )は、愛媛県八幡浜市出身の元プロ野球選手(内野手)。 実弟は元プロ野球選手の河埜敬幸(元南海、二塁手)。 == 来歴・人物 == に八幡浜工業高校からドラフト5位で巨人に指名され入団。二軍暮らしが長かったが、に黒江透修に代り遊撃手のレギュラーを獲得する。には初めて規定打席に到達(20位、打率.294)し、リーグ2連覇に貢献。の日本ハムとの日本シリーズでは、チャンスメーカーとして全試合に先発出場、21打数9安打3打点を記録し日本一の大きな原動力となる。その後もまで定位置を守るが、には岡崎郁にポジションを譲り、限りで引退。広岡達朗、黒江を上回る遊撃手球団最多出場を記録している。 4月16日の対阪神戦(甲子園)の4回裏の守備で、佐野仙好の放ったなんでもないショートフライをグラブに当てて落球。阪神はこの失策を契機にこの回一挙7得点を挙げて逆転勝利、翌日のバックスクリーン3連発と合わせてチームが勢いづき、21年ぶりの優勝に繋がった。その後も、普段からは考えられないような凡ミスを出し、落球の精神的後遺症といわれるほど失策が続き、遂に二軍降格も経験した。守備のスランプは後に克服したが、打撃の衰えもあり翌年の引退につながった。 現役を引退した後はスカウト、コーチを歴任。現在は読売巨人軍「ジャイアンツベースボールアカデミー」(青少年向けの野球教室)校長を務めている。 兄弟揃って1000本以上の安打を記録している(同例は他にレロン・レオンのリー兄弟のみ)。 ニックネームは「カメ」。これは若手時代、出塁してリードを取った際、自信なさげに首だけ伸ばした姿が亀に似ていたということで当時の首脳陣に命名された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「河埜和正」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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