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河尻秀隆[かわじり ひでたか]
河尻 秀隆(かわじり ひでたか)は、戦国時代の武将。織田氏の家臣。黒母衣衆筆頭で、のちに織田信忠の補佐役及び、美濃岩村城主や甲斐府中城(甲府城)城主も務めた。秀隆および河尻氏に関係する文書は少なく、事跡の多くは『信長公記』や『甲陽軍鑑』、徳川氏関係の記録に記されている。 == 生涯 ==
=== 織田信秀への出仕 === 秀隆の河尻氏は美濃出身の土豪の一族である。醍醐源氏の一派である肥後河尻氏との関係は不明。また、『信長公記』によると、織田大和守家(清洲織田氏)の家臣に河尻姓の人物(河尻与一)が見られるが、秀隆との関係は不明である。 秀隆は当初は織田信武(織田大和守)に仕えた。後に織田信秀に仕えた。 天文11年(1542年)8月、16歳で信秀に従って第1次小豆坂の戦いに参加した〔岡田正人『織田信長総合事典』P207〕。天文17年(1548年)の第2次小豆坂の戦いに参加した。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「河尻秀隆」の詳細全文を読む
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