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川後森城[かごのもりじょう]
河後森城(かごのもりじょう)は、愛媛県北宇和郡松野町松丸に存在した日本の城(山城)。 == 概要 == 四万十川の支流・広見川と、さらにその支流の堀切川、鰯川に囲まれた独立丘陵上にある。山頂の本郭を中心に、二段・三段の平坦地が設けられ、馬蹄形に曲輪が設けられていた。 川原淵殿と呼ばれた渡辺氏が代々の居城としており、天文後期から天正年間にかけて機能した。天正8年(1580年)から翌年の間に、城主・渡辺教忠の近習だった芝源三郎が謀略により当城を奪っている。天正11年(1583年)の四国の役の後、戸田勝隆により芝源三郎は放逐された。その後、当地を治めた藤堂高虎は当城の天守を移築して板島城の月見櫓にしたという。慶長19年(1614年)に伊達秀宗が宇和島藩を創立した際、付家老の桑折氏が当城に入っている。その後、元和元年(1615年)の一国一城令により廃城になったとされる。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「川後森城」の詳細全文を読む
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