翻訳と辞書
Words near each other
・ 河津稜威
・ 河津精一
・ 河津美樹
・ 河津聖恵
・ 河津良一
・ 河津落とし
・ 河津裕昭
・ 河津鉱
・ 河津駅
・ 河流
河浜一也
・ 河浦中学校
・ 河浦小学校
・ 河浦町
・ 河浦町立一町田小学校板之河内分校
・ 河浦高等学校
・ 河海大学
・ 河海抄
・ 河海豚
・ 河添健


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

河浜一也 : ウィキペディア日本語版
河浜一也[かわはま かずや]

河浜一也(かわはま かずや、1959年11月3日 -)は広島の学習塾経営者。学習共同体河浜塾(有限会社広島カルチャーストック・広島市周辺に13教室)代表取締役。広島私塾連盟 特別顧問(元理事長)。全日本私塾教育ネットワーク 副理事長、NPO法人教育サポート広島 副理事長、FMはつかいちのラジオパーソナリティ、音楽プロデューサー、フリーライター、作詞作曲家、詩人、郷土歴史家。
==来歴==
1982年広島市佐伯区に河浜学習塾を開業、1985年に有限会社広島カルチャーストックを設立、塾名を学習共同体河浜塾と改称する。現在、東は東広島市高屋から、西は広島市佐伯区まで13教室を展開し、他に数教室をプロデュースしている。2008年に発刊された「迷った時の塾選び広島」(高遠信次著・南々社)では、広島県を代表する5塾のうちの1つとして、熱血型の塾に分類されている。また2012年発刊の彼の母校・修道高校を分析・紹介した「男たちの修道」 (井川樹著・南々社)には「活躍するOBたち」の欄にその名が記されている。
20歳代で詩集を発表した詩人であり、音楽の世界では作曲家・ヴォイスパフォーマーとしての顔も持つ。自らの所属したユニット「月輪(げつりん)」で、当時の鯤レーベルより実験音楽CD「蝕(しょく)」を発表。
1993年から、広島テレビの人気番組だった「柏村武昭のテレビ宣言」で、毎週のレギュラーコーナー「まちかど塾」を担当した。その後2011年まで、「広島テレビ公立高校入試解答ダイジェスト」に出演。
2000年頃から数年間、廿日市市栗栖で「コーヒーハウス・イシイ」を経営した。宮島もみじまんじゅうに詳しいことから「宮島博士」「もみまん博士」とも呼ばれる。
地元のコミュニティーFM局では、FMななみでラジオパーソナリティとして毎週のレギュラー出演の後、FMはつかいちの「河浜一也のバラエティーナイト」でメインパーソナリティを務めている。
2012年のNHK大河ドラマを契機に広島で起こった清盛ブームでは、郷土歴史家として、平清盛や佐伯景弘のことを中心に各地で講演し多忙を極めた。また、地元の西広島タイムス西国街道周辺をテーマに連載を開始、現在も連載中。「リビングひろしま」では、「河浜一也先生と歩くふるさと歴史散歩」で平清盛ゆかりの地について連載した。また、広島市佐伯区の広報「佐伯区だより」にも、佐伯景弘についての解説を連載した。
広島県西部に在住の歌手や作曲家、フォトグラファー・ラジオDJらのアーティスト集団「Lusica Final Arts(ルシカ・ファイナル・アーツ)」の代表を務め、そのコアメンバーの音楽プロデューサーやマネージメントを務める。
また、郷土歴史家として、前述の西広島タイムスの「宮島街道歴史散歩」の他、フリーライターとして季刊誌「GRANDEひろしま」の「みんなde ART」などのページを連載、地元の中小企業家向け情報誌「ログノート」には「ミュージックシーン広島」や「歴史風景広島」を連載執筆中。
==著作==

*平清盛佐伯景弘、宮島歴史ウォーク (トレンドパーク)
*吉田松陰の教育 (学習塾百年の歴史編纂委員会)
*景弘・平安の笛 (広島市佐伯区まちおこし推進課)
*蝕 by月輪 (鯤レーベル。CD)

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「河浜一也」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.