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河瀬城 : ウィキペディア日本語版
河瀬城[かわせじょう]

河瀬城(かわせじょう)は、滋賀県彦根市にあった日本の城
==概要==
南北朝時代京極宗氏の子定信が池田姓を名乗って河瀬城を築き同時に天台宗遠久寺 (おんきゅうじ - 廃寺時期は不明)を建立したのが始まりである。〔日本城郭総覧220ページ 秋田書店〕その後は郡家を勤めていた犬上君 (いぬかみのきみ)〔彦根市役所 カルタで学ぶひこねのれきし 〕の子孫にあたる河瀬大和守秀宗が1500年代前半に居城した。同時期に出城として甘露城蓮台寺城を築いた。しばらくは出城である甘露城・蓮台寺城と共に周辺を統治していたが、1552年10月28日三好長慶に攻められ八木城から敗走してきた香西・波多野連合軍を河瀬氏は匿ったが周囲を包囲されたため降伏した。これにより城は荒廃しつつあったが、仏教に厚く帰依していた秀宗は1574年佐目にあった法蔵寺の移転を受け入れ寺院と城郭の一体化したものに変えていった。〔『日本城郭大系』11滋賀県 新人物往来社〕〔滋賀県教育委員会編「旧愛知・犬上郡の城」(『滋賀県中世城郭分布調査』5 1987年3月)〕廃城は諸説あるが、関ヶ原の戦い以前1500年代後半ごろとされている。廃城後は法蔵寺が引き続き当地にあり現在に至っている。2012年の彦根市教育委員会文化財課の調査によると河瀬神社付近の遺構が河瀬城のものと推定され本項の遺構は南河瀬城のものと推定されている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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